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ビシクレッタ

Author:ビシクレッタ
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2010年
月面到達まで、あと
7119km


地平線会議4月  日 高田馬場スポーツセンター 

3月25-26日

 帰省+周辺
 我が故郷の稲敷市もダメッジが大きい。本新小学校前捕縛

21日
 まずはブログの健在を祈ろう。
 何点か。
 その1.
 いわずもなが三陸大津波。
 天災とは必ずやって来るが、明日だとは誰もが思わない。そこに大惨事がやってくる。
 平成元年からの3年間は、今回、ちょうど津波の末端がなめた、仙台の若林区役所近くで働いていた。したがって、そのまま住んでいても生命に問題はなかったと思う。
 でも好んで出かけた三陸海岸、仙台湾、陸前浜街道は壊滅状態。
 吉村昭の「三陸大津波」によれば、明治23年、昭和8年、昭和35年と、年々被害が縮小しているから、津波と共存する三陸の人々は、遠からず津波を克服するだろうとかかれてあるが、今回の三陸津波は明治の記録を大幅に上回ることが確実になってきた。
 その2.我が家。
 その日の我が家は、冷蔵庫の横転。キッチンカウンターに倒れたので、45度で止まってくれたけど。コンピューターも1m以上すっ飛んだ。わが人生最大のシャッフル。
 その3、千葉市から東京へのルート。
 自転車でいけるかどうか確認したところ、行けたものの、新浦安あたりがもっとも悲惨だった。液状化で噴出した砂が乾き、風に乗って流れるさまは、まるでサハラのオアシス都市のよう。
 ディズニーランドは思ったよりダメッジ少なかった。休園は停電によるものじゃないかな。

 自転車とは関係ありませんが、4月の人事異動で、前の病院にもどることになりました。

 2月27-28日
 27に講習会(循環器)があったので、船橋経由で経由で帰省。28日は氷雨の中を帰宅。寒かった。風呂に入って温まると、血の気がもどってきたものの末梢がしびれてかなわん。

 ところで本を出してもらったラピュータ社が自転車から撤退したもよう。出版業界も辛いんですなあ。
 収めた2冊分の原稿もボツ。ちょっと悲しいので、せっかくだから投稿してみました。

13日
 旧職場の友人たちと館山まで。117㎞。
 当初は九十九里への道でしたが、幕張ですらバリバリの路面凍結のため、内房に切り替えての館山へ。久々の館山でした。それだけ走れなかったんですね。

  
5日-6日
 友人の河野君のところに行ってきました。あれから10年が過ぎようとしています。なんとお母さんは、焼肉の準備をして待っていてくれました。

 5日   松山空港→長濱→瞽女峠→塩成→川之浜   97㎞
 6日   八幡浜→郷の峠→出石寺→長濱→松山空港  93㎞

好天にめぐまれ、のんびりと走れました。
おって写真で報告します

 1月30日
 54㎞。
 なんとなく走りたくなって、姉ヶ崎まで。そこまで考えられるようになったのがうれしい。このところ疲れきって、ポタリングする気力もなかったから。
 このルート、2年ぶりかもしれない。なんかリハビリみたいな感じだった。

29日
 床屋。114㎞。大晦日にベトナムでやってもらっていらい。
 路上で教え子に声かけられてびっくり。

 ところでエジプトの騒動、どんな結末で収束するのだろう、行ったことはないけれど気になるところ。霧島の噴火も。

28日
 疲れて地平線に行けず。

24日
 チェーンとフリーギアを替えてもらって快適、とおもいきや、フロントギアが噛まずにスリップする。フロントも変えなくてはならないか。35000㎞も走ったからなあ。

23日
 自転車が壊れドッグ入り。
 フリーギアの爪が折れて流せなくなった。まるでピストみたいに、下り坂もブレーキかけながら踏まないとならない状態。
 このところメンテナンスもおろそかにしてしまったから、いい機会だ。
 というわけで、オーバーホールしてもらいました。
 すると問題はフリーギアじゃなく、ハブ軸とのこと。おまけにブレーキシューもさかさまだった。
 メカニックはどうも弱い。


 千葉県サイクリング協会の集会に参加してきました。
 学術的な走りは苦手だ。あれこれ考える間に走りたいのがのぐち君です。

10日
 3連休、でも走れない。寝ていたい。

 3日
 このぶんだと10月下旬にでも月面に着きそうなので、今年はマメに更新しないとなりませんね。私の今年のテーマです。
 それはさておき、以下、暮れの走行の報告です。



 
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ホーチミン市の路上。各交差点では、さながらオートレースの出走風景


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ミトー市のメコンにかかる橋の上から。乾季のこの季節は霞がかかってしまうらしく、ちょっと残念


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サトウキビジュース、1杯14円。これが4杯、ココナッツジュース2杯で、水分補給がてらの昼食になった


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熱帯ではおなじみなったフランパニーがここでも


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通いの飯屋で。うまかったし、立地もいい


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メコンデルタの水路。いやー、生きているね


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アオザイが制服らしい女子高生


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そんな女子高生集団が、正午を境に通学路にあふれる


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サイクリストにはかかせない通りの標識。こんな説明文付属は初めて


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ミトーの市場。茨城の人間ゆえに、なぜかひきつけられてしまう地名


IMG_0685_20110103210841.jpg
このような道の奥にメコンデルタの楽しみはある。一般道はただのバイパスだった


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そんな道の途中で驟雨が。雨宿りの一家で一服


IMG_0960.jpg
ホーチミン市の旧大統領府。1975年、当時のサイゴン市のここに解放軍が突入して戦争は終結した


IMG_0999.jpg
そして2011年の夜明けです。機中のため反射していますが


 
12月26日
 今年は現時点で10768Km。年末中にあと300Kmぐらい上乗せできそうなので、11000Kmを越えたあたりで終了の見込み。
 しかしこれまでとはパターンがまるでちがう。主な走行は、4月の名古屋-奈良-米原と7月の千葉-長野:上越-柏崎があるだけ。
 おかげで目新しい書き込みもできず、みなさんには退屈させてしまいましたのは反省点。2011年は、せめて月1回の峠からの報告を心がけます。
 だけど通勤32Kmで240日として、7500Km。帰省が月1回120Kmで1200Km。するとまともに走ったのは、わずかに2300Km。通勤でかせぐのはよくないよ。
 とにかく月面まで10000Kmを割りました。来年の11月上旬あたりには着きそうです。

 それでは元日まで、Ho Chi Minh 周辺を走ってきます。

DSC_0282.jpgちょっとちがいますが、冬至のころのベランダからの日の出です。右高い建物は千葉県庁




11月28日
 帰省・130㎞。
 このところの怠けが響いて、足が重い。これで出走したら乗鞍、1時間30分台後半だろう。すこし反省。月一の房総半島一周ぐらい組み込まないと、来年は戦えそうにない。なにしろ通勤だけだからなあ。今年のお出かけは、4月の近畿と7月の新潟だけだったし。12月には、どこかに行くか。
 それよりも本日、皆様のご協力により、今年の10000㎞クリア。逆算すると、長豊橋を渡って茨城県に入ったころだと思う。
 ノルマを果たして、ちょっとばかりほっとした日。

  21日
 このところ週末の天気がめぐまれている。ああ、なのに走れず、今月も通勤と帰省のみに終わりそう。それでも760㎞走れてしまうところに自転車通勤の強みがある。だけどいつのまに今年は9840㎞も走ったんだろう。
 利根川水系も今年中に片付けてしまおうと思っていたけれど、遠い結果になりそうだ。ずいぶん整備されたんじゃないかな、来年の課題だね。

6日 サイクルモード
 自転車の進化についていけない、というのが第一印象。
 今年も知人のあいさつに出かけたような、が第二印象。

 4日 帰省:130㎞。

 10月30日
 ちょっとばかり大変でした。
 実はこのブログ、コンピューターに詳しい友人に開いてもらいました。
ところが更新の時期なのか、開けなくなり、あれこれさぐっていたところ、どうにかパスワードが判明し、再開にこぎつけられました。
 いろいろと書き込みたいのですが、就寝時間。11月は業務上の相棒がいないので、少しばかり多忙になり、業務に専念しなければなりません。
 10月も走れませんでした。通勤+帰省一回のみで終わっています。まずい、だんぜんまずい。

 バイシクルクラブからの本は「地球の走り方」です。おって画像で紹介いたします。
 なお、ラピュータ社からも次の原稿が要求されていますので、春までにはまた出せそうです。
 パスワードが判明して、やっと更新。今後はもう少し充実させますので・・・


 バイシクルクラブに連載してもらった1週間海外サイクリングが本になります。月末には出るかもしれない。10月1週はその校正で睡眠不足。だってパソコンが壊れてしまったから、メールでのやり取りができず、編集日に通ったんだ。


10月12日
 ご迷惑をおかけいたしました。
 パソコンの故障とは突然にくる。おかげで2週間ほど音信不通になってしまいました。お詫び申し上げます。
 モニター画面が2秒しか映らなくなってしまった、という故障。当初はモニターなのか、本体の故障か分からなかったけれど、新調してモニターを接続したら解決したので、原因が分かった。しかし2週間の音信不通はつらかった。コンピューターがないと生活が成り立たないことを改めて知りました。

10日~11日
 床屋帰省。127㎞。10日は大雨の中の利根川土手走行。一度濡れてしまえば同じだから。
 ルート上、里山を走ります。雑木林と田んぼの道ですが、ここに山栗が何本もあり、落ちているので拾ってきました。大なべに一杯ほどです。
 地元民の財産ですから、落ちている実しか拾えませんが、それでも30分足らずでもてなくなるぐらいです。川原のサイクリングロード沿いにくるみの実が多量に落ちているコースも知っている。どうしてみな拾わないんだろう。


9月末
 直江津は65人エントリーの35人完走とサバイバル化。私はBBの故障で、なんと市川でギブアップ。出直しして新幹線で直江津に向かい、完走者の受け入れサポートに回りました。

14日
直江津は60人の大所帯となりました。
私は渋コースのサポートに回ります。

 読者からの問い合わせに、ハンガーノックをハンガーロックと書いているのが残念、誤植か、というのがあった。
 私の知識不足は否めないが、レース中の空腹による自転車が進まないハンガーノックと、ツーリング中に飯が食えず、足がロックされて動けなくなるハンガーロックとばかり思っていた。
 だけど意味的にはこちらの方がしくっくりくるので、今後も使い分けます。もっともツーリング系の私はハンガーノックつかいませんが。
 日本語としておかしいという方もいますが、ナイターも和製英語ですから、ハンガーロックが市民権を得るのも時間の問題でしょう。


13日
 10日の事故も覚めやらぬ4日後、今度はあやうくタクシーにはねられそうになった。
 交差点で直進する私を抜きながら強引に左折するため、横断できず斜めにクロス。ここまでは良くあることだが、それでも文句を言われたのは初めて。直進と左折ではどちらに優先権があるのかすら知らない人間を雇うのだから、この会社もその質が知れている。
 周囲の通行人は私の味方。立場を失ってさっさと逃げていった。
 だけど怒っちゃいけない、そんな、自転車が車道を走るだけで我慢できない連中、相手にすると疲れるだけ。

 11日
 床屋往復。119㎞に問題なしで、事故の後遺症なしと確認。

10日
 不覚にも事故。
 こちらが走っているのに、まさか路地からバイクが飛び出すとは思わなんだ。
 逃げ切れずバイクに後輪を追突され、大網街道の中央で転倒。10mのスライディングに、左大転子と左肘を摩傷。100%相手の問題とはいえ、逃げきれなかったショックは大きい。
 だけど相手はほっとしただろうな。老人なら確実に死んでいる。

9月5日
 「自転車でどこまでも走る」が発刊されました。
 実践的サイクリングよりは、私らしい内容になっています。

8月30日
 乗鞍ヒルクライムへ。もっとも私は抽選漏れでエントリーできず。しかし弟子がエントリーできたので行った。
 かくして当日は、乗鞍スーパー林道を走ってみたが、白骨温泉以北はずたずたで、走れたものじゃなかった。

18日
 1日の富士五湖サイクリングが、本日発売のバイシクルクラブの付録に載りました。
 9月上旬に、だれでも走れる1日400㎞をテーマにした入門書が発刊されます。

15日
 床屋。111㎞。

1日
 バイシクルクラブの取材で、富士五湖をめぐる。
 富士吉田→山中湖→河口湖→西湖→精進湖→本栖湖→精進湖→西湖→河口湖ルート。111㎞。
 真夏にお勧めの週末コースなんて、富士五湖ぐらいだろう。

7月26日
 やっぱり疲れているんだなあ、ページのメンテナンスができない。2ヶ月もほったらかしにしていたとは。そろそろ体を大事にしなければならない歳になってきたことだし、少し考えよう。

 25日
 床屋:116㎞。
 このところの話題は熱中症。ずいぶん死者が出ています。職場でも土曜日にイベントがあり、10人以上が医務室収容となった。
 このあたり、主催者はもう少し考えてほしい。

 話題変わって、
 地平線仲間の角幡君が「空白の5マイル」というタイトルで開高健賞を受賞した、というニュースが入ってきた。これはうれしい。また書きたくなってきた。


 18日
 海岸線を柏崎、以後、十日町、六日町と、3峠を越えて110㎞。六日町から輪行、越後湯沢から上越新幹線。


 17日
 弟子たちを引きつれて直江津ランに挑戦。しかし高崎着の時間からゴールは危うくなり、長野を過ぎて雷雨でついに断念に。
 今回は287㎞地点まで。豊野から直江津まで輪行。

 10日
 次作「こどもたちよ、冒険をしよう」発刊。
 地平線会議の仲間。三輪、丸山、中山、坪井、各氏らと教著。


右29日
 病院の仲間と日光へ
 イロハ坂から金精峠に上る予定が、今市までの曇りが日光に着くや。そのため予定変更し、南下ルートへ。出だしから雨じゃ、全員が走る気になれなかった。
 下今市→例幣使街道→鹿沼→栃木→渡良瀬遊水地→南栗橋 97㎞

 20日
 疲れた・・・・このところの激務。
 2年任期だから、たぶん来年度には脱出できるだろうけど。仕事量倍増で給料ダウンじゃ、やってられん。文筆に専念したくなる。
 ぐちはともかく、
 久々のストレス解消、ジロ主催の奥多摩4峠越え。
 152㎞、9時間10分、標高差。
 ルートは毎回同じ、
  小河内ダム-柳沢峠-上日川峠-笹子峠-大月-松姫峠-小河内ダム
 通勤で毎日32㎞だから、足ができたと思いきや、フラットコースだから甘かった。これで乗鞍に当選したら
戦えるのかしら。
 松姫トンネルの工事、23年3月までとあった。

5日
 ゴールデンウイーク。
 連日の快晴も仕事が片付かず、動けない。なんなんだ、この仕事は。ブロの更新もままならず。おかげで原稿は進んだけれど。

25日
  霞ヶ浦を高浜から時計回りに半周し、床屋経由で帰宅。119㎞。このコースもサイクリストが増えたね。

19日
 市内ポタリング、43㎞。

 ところでアイスランドの火山が噴火して欧州の空港が麻痺しているという。アイスランドはストップオーバーで立ち寄っただけだけど。
 考えてみれば欧州の火山といえば、アイスランドとシチリアのエトナぐらいしか知らない。だから欧州は噴火になれていないのだろう。四六時中どこかが噴火している日本とは違うようだ。欧州みたいに反応したら、鹿児島空港なんか開港できまい。
 国際情勢はあとふたつ動いた。
 タイの暴動。意味も経過も違うが、結果が光州事件に近くなってきた。いずれにせよ東南アジアでもっとも安定していた国がこれではこまる。夏休みをタイで考えていたが、変えるしかないな。
 中国の地震。高度4000m近くでは他国の救援隊など入れまい。こういうとき政府は登山界を利用すればいいのに。6000m体験者が、喜んで飛んでいくぞ。
 
17日
 若干出遅れぎみだけど、12000㎞まで届くか。
 
 土浦からの帰り、電車の乗り方をたずねてきた欧州の若者がいた。
 風貌から、いつも敬遠されているのだけれど、彼はなぜか私を選らんだ。訊けばフランス人でスペンにも住んでいたらしい。そのため分かれるまでの30分、スペイン語でしゃべりまくった。突然だったので心の準備ができておらず、簡単な単語も出てこなかったけれど、いい練習になった。
 このようなたびに、また外国語をと思うのだが・・・・

 あまりにも場違いな仕事に1年とまどいましたが、どうにかなれてきました。
 今年は久々に資格試験にでも挑戦しようかしら。


土浦市桜川河畔の桜です。こちらも見ごたえ十分。河口から3㎞にわたって連なっています。
DSC_0041.jpg

近場から、花見川サイクリングロードの桜です
DSC_0005.jpg


3-4日 400㎞ポイントの確認と、鈴鹿峠、暗峠のチェックに行ったのですが・・・
    暗峠は新幹線のチケットが取れず、回った武平峠は通行止め・・・

 3日 名古屋-四日市-鈴鹿峠-柘植・・・輪行・・・奈良 110㎞
  1号の距離調査で名古屋をスタート、四日市で400㎞ポイントを確認し鈴鹿峠へ。トンネルの上は茶畑でした。調べごとに時間を食ってしまい、奈良まで届かず柘植から輪行

 4日 奈良-笠置-信楽-平子峠-愛荘-米原 151㎞
  奈良から笠置へ。駅近くの河原のサクラも入園料徴収の公園に成り下がっていてがっかり。のち和束、信楽とサクラを追いかける。奈良も和束も満開だったが、高原の信楽はまだつぼみ。
 武平峠から四日市に抜けようとしたが通行止めでUターン、やむなく米原への道をとる。

DSC_0147.jpg
  
和束のサクラ。満開のため見ごたえ十分な桜も、だれもいないので静かに楽しめた。

DSC_0058.jpg

鈴鹿峠。滋賀県側のトンネルわき側道から500mほどで旧道鈴鹿峠へ。江戸と京を行き来した人すべてが通過した想いにちょっとふけて。
DSC_0029.jpg

次作、400㎞をテーマにした本の下調べで。四日市市の小古曾なる地でした。
近々、4号でも調べる予定です。

3月27日-28日
 帰省・138㎞

19日
 利根川水系を調査で埼玉県側を高崎方面に向かったところ、JR武蔵野線・三郷駅から17号と神流川の交流点まで、105㎞つながっていました。うち一箇所、4号大利根大橋(栗橋)の5㎞のみ工事中。
 数年前、調べていて五霞町で立ち往生したのが夢のような、はっきりとした道でした。

 現在執筆中の本の原稿を納めました。あとは編集者が要求する不足の分を追加するだけ。夏までには紹介できそうです。

6日
 この週末、またしても雨。
 雨だと朝から風呂に入ってしまうので、ビールばかり飲んでしまう。走りたい。

1日
 2月はさぼった。通勤しか走っていないおかげで500㎞割れ。そして今日の1ヶ月ぶりの帰省127㎞、足にきた。走っていないとだめだね。
 このところ雨だったから、原稿優先していたし、やっと晴れた先週はカゼでダウンしちまった。毎週100㎞は走らないと、たった4時間なんだから。

 気になるチリの地震。アコンカグアの練習の登っていたエルプラタでは、コンセプシオン大学の山岳部と一緒に動いていたんだ。津波がきたというトコピージャやアントファガスタ、そしてリオロア一帯の小集落も気になるなあ。


2月21日
 稲毛海岸のJASCO前のサクラ、咲き出したところをみると、やっぱり河津ザクラかしら。咲くのも遅いし、色もいまひとつだし、赤めの花びらはエドヒガンのようにもみえるけれど、本日1分咲きもJASCOの影で日当たりが悪いからだとすれば納得する。千葉銀本店キャッシュディスペンサー脇の河津ザクラは7分咲き。
 自転車、今月も走れません。原稿が終わらない。

6日
 相変わらず走れません。通勤に自転車を使っているんで、距離だけは伸びているのですが。
 1月に走れたのは、2回の帰省のみ。

1月17日
 免許証の更新に行ってきました。
 当たりまえといえば当たりまえですが、いまだかつて日本の公道を1mたりとも走ったことのない私は、無違反優良者です。そして次の更新も優良者でしょう。クルマに乗ったら自転車業界から袋だたきに会いそうで乗れないんですね。もっとも現在地に住んでいるかぎり、移動は鉄道と自転車で間に合うというのがより大きな理由ですが。
 ところでこのところ走れていません。走りたいのですが、原稿が詰まっています。しかも激務のため、病院勤務のころのように原稿が進まなくなりました。とにかくいまの原稿を片付けないことには落ち着いて走れないので、しばらくこの状態がつづきそうです。
  

2009年12月26日~1月1日までの報告です。

実用車で行く中国、第2弾。蘇州ポタリング編。
1週間、475㎞

 印象としては、4年前と比べてひとまわり発展していた。もっとも前回は後発地区の広西で、今回は先端地区の江蘇省だったから、ギャップも大きかったのだろう。物価も倍になっていたか。
 人のマナーも良くなっていたが、それでもまだまだ。信号はあって無きに等しく、交差点は先に突っ込んだ方が勝ち。あれで事故が起きないのが不思議だ。
 ホテル代は300元前後を利用。駅前には60元程度がたくさんある。食事は1食10元ぐらい。

日程
26日 上海
27日 蘇州 自転車を購入・・・・・・・10㎞
28日    太湖上の西山島まで・・・135㎞
29日    光福鎮往復・・・・・・・・85㎞
30日    市内周遊・・・・・・・・・65㎞
31日    上海まで・・・・・・・・155㎞
1日     上海市内・・・・・・・・25㎞

今回使用した自転車です。ジャイアント製、7600円。
蘇州周辺は水路と橋ばかり。それが見事に絵になるんだなあ。
今回の自転車

中国の道。自転車道がはっきり分離されているのがうらやましい。ここが特別、というわけではなく、中国全土がこの調子なのだ。西山島の金庭鎮にて。
中国の道


偶然見つけた南宋初期の国民的英雄、韓世忠の廟。中国史最大の英雄といえば同世代の岳飛だろう。その岳飛に隠れてしまい、いまひとつ目立たないものの、他の時代なら文句なしのヒーローだ。思わず寄ってしまった。
韓世忠廟


その韓世忠の墓につながる小道。このような道が出てくるから、ロードは考えてしまうんだなあ。
林道散歩


蘇州市城東南角の鐘楼。いかにも中国的なこの風景。ここに達しただけでも、つい、城壁東南建鐘楼/水碧柳映水路面、とつぶやいてしまう
蘇州城東南角鐘楼

宋代の石橋、宝帯橋。宋といえば水滸伝の時代。この橋を、呉用が、史進が、林沖が、柴進が、そして扈三娘が歩いてきたのかと思うと、ついわくわくしてしてしまう。それにしてもこの時代に300m長とは1、000年も昔の建造とは思えない
宝帯橋

蘇州駅。この日は晴れたが、到着の日は雪が舞った。しかし気温は10℃を越えることなく、氷点下にも。それでも走れることが分かった、貴重な体験だった。
蘇州駅

この日、3日滞在した蘇州をでて上海へと走る。その最初の町、呉江の寺の塔。このようにして予定外の遭遇がサイクリング最大の楽しみだ。
呉江市の寺の塔

水郷古鎮・同里で胡弓を弾く老師。むろん観光用とはいえ、ついつい魅とれてしまう。このような姿が何千年とつづいてきたのだろう。
老師弾胡弓

つづいて現れた古鎮、周庄の外観。なにも古鎮を結ぶルートを組んだわけではなく、このあたりを走っていれば、どこをどのように進もうとも水郷古鎮が連続してしまうだけのこと。
周庄

サイクリストにとってどうしても多くなる写真、標識です。呉江と上海は分かっても、略された蘇州の文字は読み辛いかも
標識

いくらメタセコイアが中国原産とはいえ、まさか並木になるとは。金沢鎮から30㎞以上もつづく並木には驚いた。このほか、この地域では、楠とトウネズミの並木が目だつ
メタセコイヤ並木

水郷古鎮・朱家角の落陽。落陽はいかなる場所でも絵になる。ましてや水郷古鎮とあらば、芸術的な幻想が漂ってくるんだねえ。
朱家角落陽

さすがに疲れました。大都市は道が分かりにくく、蘇州から155㎞走っての22時、どうにか上海の宿に着いた。その翌日、つまり元旦の、写真でよく紹介される浦東地区展望です。
浦東地区展望

輪行からは開放されるけれど、いつも処分に困る地元購入の自転車。へたに渡せば喧嘩にもなりかねないだけに、なるべくひとりでたたずむ大人に渡すのだが、今回はそのような環境にいない。やむなくホテルの前の屋台屋夫婦に、処分を依頼して旅は終わった。
自転車を贈与


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2009年
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月面到達まで、あと
20740km

         経度に換算すると、ただいま アマパ(ブラジル)付近を通過中。

2009年
1月 734km       今年は計 11914km
2月 465km
3月  975km
4月 603km
5月  1521km
6月 1174km
7月 1043km
 8月 1013km
 9月  1196km
10月  1339km
11月 786km
12月  1065㎞

12月第三月曜 たぶん今月のCVJミーティングは中止だと思う。
12月25日 地平線会議  風間深志の自転車オーストラリア縦断です。高田馬場スポーツセンター。

12月16日
 すいません、1ヶ月近くもほったらかしにしてしまいました。このところ原稿がたまってしまい、走れないので書きこみも減ってしまった。
 そんなことよりも年末は大パニックに。年末年始はいつも仕事なのに、学校勤務になったため、6連休、とおもいきや28日も休みになって9連休に。えー、そんなの慣れちゃいない。価格高のこの時期に、行きたくないけれど、これだけの休み、行かないとぼけてしまう。
 そんなわけで7日ほど、上海をポタリングしてきます。

 12日 サイクルモード・メッセ
  知り合いがいっぱいいて、自転車が見れなかったけれど、楽しかった。
  だけど、人が増えたねえ。

5日 床屋 114㎞

11月21日
 地平線30周年記念大会で、丸一日牛込区民館に。
 それにしても楽しかった。楽しい気分で3次会まで参加したことがあっただろうか。琉球舞踊というべきかどうか、練習不足でアマワリのキムタカに混じれなかったことが残念。400回大会には参加するぞ。

14日
 天候不順のためイベント中止。とりあえず現地に行き、参加者が間違って来ていないことを確認して戻る。

 8日 帰省 128km

7日
 前勤務先の自転車部メンバーと柴又へ。
 幕張→浦安→葛西→柴又→市川塩浜→幕張のルート、78km。
 江戸川沿いのサイクリングロードも、どんどん改善しています。そして柴又はすさまじい人出、でした。
 だけど、渥美清の影響って、この地では大きいんですねえ。寅さんシリーズ、水戸黄門も大岡越前も遠山の金さんも、みな同じパターンだけど、どうして日本人は、こういった結果の分かったストーリーが好みなのだろう。 

10月31日
 このところはまっている利根川水系チェックで、手賀沼サイクリングロードと福田から関宿まで。
 ちなみに関宿は、
  利根川河口から121km
  江戸川河口から60km地点です。

 で、通勤のおかげで早々に今年は10000kmオーバー。

 しっかりと調べたわけではありませんが、千葉県の川の流れがあまりにも不自然なので、てっきりそのむかしは、利根川が江戸川に注ぎ、鬼怒川がいまの利根川で、その間を掘削し、江戸を洪水から防いだのだとばかり思っていましたが、
 どうやら現実は、
 利根川が中川で、
 江戸川だったのは渡良瀬川だったようです。
 したがって、3本の河川をつないだのが実際みたい。

10月23日
 今月もあっさり1000kmオーバー、通勤の600kmは大きい。毎年、四苦八苦して10000kmまで引き上げていたのに、今年は今月中に到達するだろう。ひょっとすると、世界放浪時代以来の12000kmオーバーか。

12日
 峠のチェックに信州を走ってきました。
 
大河原峠 2093m
 立科白樺YHから蓼科山登山口までは多量のクルマ、以後は静かに上れる峠道。下り佐久方面は、別荘地を下るつまらない道だった。

IMG_3971.jpg
大河原峠 紅葉がきれい

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こんな風景がつづきます。


コマクサ峠 2040m
 東御市から地蔵峠へ。直線路の上りがつらいが、九十九折になったら楽。峠からさらに東に向かうとあやめ平を越えて車坂峠へ。そのピークがコマクサ峠で、地蔵峠方面4kmは舗装、車坂峠方面3.5kmはダート。でも固い路面なのでロードでも走れる。

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 コマクサ峠 地図には載っていないんですねえ

これで2000mクラスは
 乗鞍畳平
 大弛峠
 渋峠
 麦草峠
 富士スバルライン5合目
 富士スカイライン新5合目
 大河原峠
 コマクサ峠
 と、完了。
 今年中には厳しいけれど、来年こそは、まだ越えられない、
 安房、夜叉神、および十年以上も前のため記憶のさびついた、北海道の峠を上ろうともくろんでいます。

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 またまた新刊を出させてもらいました。



 
 
9月30日
 今月は業務過多で疲れた。まるで走れない。それでも1200kmなんだから、通勤の素晴らしさを実感するね。
 これで今年の残1248km。10000kmはゆうゆうクリア、12000kmに届きそう。

26日
 ボランティアで土浦から霞ヶ浦大橋往復。おわって長野に直行、ジロの直江津に途中参加して80km。宿が新潟国体で取れず、夜行で帰る。

22日
 この大連休、迷惑千万。
 どこへ行っても混んでいるだろし、動かないことにしたら寝てばかり。よほど疲れているだな。しかし寝ていたらますます疲れる。こりゃいかんと、ちょっと長距離を走りたくなって房総一巡り。鴨川-保田でショートカットし208km

 次作;100kmを目指す人の入門編。かつての「自転車旅行を始めよう」と「自転車野郎養成講座」のあいのこのような内容です。どんなタイトルになるのか分かりませんが、とりあえず脱稿しました。
 10月10日ごろのお目見えになるようです。

8月29日-30日 100km
 乗鞍
 大失速の1:25:28。前回はわずか8分で、1分後にスタートした女子に追い越されたけれど、
今回は12分まで持ったし、中間点の通過タイムも1分早かったので、これならと思ったが、ラスト5kmで57分、あれ危ないかなと思う間もなく、パンクしていた。中間点からやたら重く感じたのも、その成か。
 どうしようか考えたが、このままできたのだからとそのまま走ることにした。後輪が流れるため力が入らなかったが、25分台で入れたからよしとしよう。
 しかしパンクに気づいてからというもの、なんと楽だったことか。これなら当面、30分台に落ちることはないだろう。

もちろん行きはいつものように薮原駅から自走。同伴の、神定さん、磯田さん、松本さん、現地合流の松橋さん、お疲れさま。 そして乗鞍YHのみなさん、今年もありがとうございました。

23日
 乗鞍調整目的で100km近在走行。
 足は動いていますが、はたして1時間20分を切れるかどうか。50歳代でエントリーすれば良かったのかなあ。
 では、乗鞍でお会いしましょう。

16日
恒例の乗鞍前の2000m峠、今年は海からの富士山新五合目です。


10日
せっかくの平日休みもすさまじき雨。熱帯低気圧からちょっと成長した台風9号の雨だが、勢力が弱いからと馬鹿にできぬのは、数年前の丹沢湖の悲劇が物語っている。雷まで鳴ってきた。
 ところで我がホイールの名前カムシンが、気象用語と知った。スペルがKHAで始まるので、たぶんアラビア語だとは思ったが、地中海を東進する低気圧に吹き込む砂漠からの熱風だという。
ちなみに塩野七生の海の都の物語によれば、ベネチアの商人が地中海でたあたりを基点に、各方向からの風を、
北  風  トラモンターナ・・・トランスマウンテンのことだから、山からの
北東風  グレコ・・・・・・・・・そのもの、ギリシャからの
東     レヴァンテ・・・・・・これまた東のことだ
南東    シロッコ・・・・・・・・シリアからの
南     アウストラ・・・・・・南の。オーストラリアの語源にもなっている
南西    リベッチオ・・・・・・リグリアからの
西     ポネンテ・・・・・・・ポネがSetのことだから、日の沈む
北西    マエストラーレ・・・主人(=国民)ということで、ローマからのということか
と呼んでいたらしい。
日本ならさしずめ、シベリア風とか台湾風とかいうことになるのかも。中学の地理で習ったのが、ボラ(北東)とシロッコだから、この中でもシロッコが厳しいのだろう。
いま、地球を旅するの次作で、サイクリングの壁になる風について調べていたところ。


9日 帰省 116km。
 乗鞍に備えて・・・、何もしていない。
 どうなんだろ、今年は。

1日
 7月はたいして走っていないのに1000kmオーバーになった。通勤のおかげか。

7月22日
今日は皆既日食について。
人事異動がなかったら、今ごろ四川省かインドで皆既日食を見ていたのかと思うと、今回の人事異動が恨めしい。気象条件を考えれば、中国かインドを走っていたはずだ。でも毎年あるから、次の機会を楽しみに。
 過去の最大食はモロッコでの金環食の90%。あのときは世界一周中で、見られると知って金環食帯まで足を延ばしたが、なぜか軍隊がしゃしゃり出て町を追い出され、その郊外で90%部分食に甘んじたっけ。
 天文少年は、今後も天体イベントを楽しみに、世界を走り続けます。

19日
帰省:129km 向かい風に閉口した。
新幹線八戸駅で買ってきた黄金漬が実家で大好評でした。お勧めのお土産です。

 とこでトムラウシ再び。
 驚いたことにガイドの二人は初めてのルートだったらしい。
 東海村の放射線漏れのとき、ウラン溶解液をバケツで運んでいた事実に、どんなに優秀な推理作家でも考え付かない荒業と評価されたが、こちらも似たようなものだ。このケースでは、その4人のガイドのうち、誰がリーダーシップを取っていたかが今後のテーマになってくる。生き残った3人は、たぶんガイドのサポートだと思うが。
 アンデスのトクリャリャフをサポートしたとき、私たち3人は、日本からツアーについてきたガイドのサポート役に徹した。あのときルートを知っていたのは、いっしょに雇われた高橋のみ。それでも客6人のうち3人が登れたのは、安定した天候と、脱落者を回収するシステムをあらかじめ講じておいたからだ。
 そして遭難を引き起こす最大の要因たる、帰りの飛行機便フィックスが、ここでも大きなウエイトを占めてくる。60代が中心なのだから、仕事に終われていたわけでもないだろうに。それだけに、どうしてあそこで停滞の判断ができなかったのかが不思議だ。全員の飛行機代をあわせたって、50万円もしないだろうに。
 酷なようだが、世間を納得させる唯一の結果は、ガイドのうちの最年長者も犠牲者になっていたことだ。山での行動はあくまでも自己責任だという人もいるが、それは集団心理を知らない人のたわごとだ。
今回の遭難は、山で集団を率いるのがいかに難しいかを考えさせられる遭難でもあった。

」「17日
トムラウシの遭難。夏山では国内最悪らしいが(木曽駒の小学生遭難が大正年間にあったけど)、ありゃあ、誰が見てもガイドに問題があったな。天気図も読めず、おそらく現地にも数回しか行ったことのない自称山男が、単に登山の経験だけを買われて雇われたのだろう。雇った方も問題だが、誰だって躊躇するはずの状況で突っ込んだのでは、ガイドの質が問われる。
 しかし60代の集団が北海道の2000m峰縦走とは恐ろしい。急病という発想はなかったのだろうか。ひとり倒れると運ぶのに10人ぐらい必要になるというのに。昨今の登山状況は、何度か遭難直前に追い込まれているだけに考えてしまうのです。

11-12日
 盛岡-八幡平-大館-発荷峠-十和田湖-迷ヶ平-八戸
 220km

 20年ぶりの八幡平-十和田湖を走ってきました。仙台にいたころは毎年十和田湖を走っていたので、今回で5回目。そして今回も晴れてくれました。
 盛岡まで輪行、20年前にはなかった南側の温泉街を通過しながら藤七温泉経由で見返り峠。1時間ほど散歩して大館まで下り、友人宅宿泊。120km。
 峠を登りに来たので、十和田湖まで送ろうとする友人の誘いをけって中湯で下ろしてもらい、発荷峠へ。20年前は12月だったので、雪で閉鎖される直前の誰もいない発荷峠だったけど、今回はいっぱいいた、
 下って十和田湖湖畔、そしてまたしても見返りという名の峠を越えて迷ケ平。ここも峠なのだろうが、高原状の台地で分水嶺が同定できないような平坦さ。その穏やかさを利用して牧場が広がっていた。
 その突端は南部地方が一望にできるコル。ここから一気の下りで、17時八戸着。100km。

八幡平 (2)
東北では、蔵王、浄土が原とならぶすばらしい峠。ゴールデンウイークの雪の壁は見事のひとこと。

発荷峠
 雪の発荷峠もオツだけど、のんびり登れるほうがいいか。眼下の十和田湖のすばらしさ。

十和田湖
よほど西風が強いのだろう、まともに枝を張れぬ湖畔の樹木

ぶな
北東北といえばぶな。ぶな林の中をのんびり走っていくと・・・


6月30日
 半年が過ぎ、今年は10000kmまで残り4500km。通勤で月600kmということは、それだけで3600kmで、これに2ヶ月で3回ペースの帰省のペースだから、それだけで到達してしまう。今年は悠々の10000kmになりそう。
 悲しいことにボーナスは前年比-15万円です。もらえるだけでもいいか。

28日
 今年のスイカマラソンは締め切りが早くて我が旧職場は壊滅。それでもバーベキューだけはやりました。

27日
帰省。118km。
 
21日
 久々に走行ゼロの日。すでに今月も800kmオーバー。通勤があと7日あるから、それだけで200kmは越えるので、今月も1000kmは堅い。走りすぎかなあ。
 
15日
 新刊が出ました。自転車で地球を旅するというタイトルで、ラピュータが出してくれました。
img_3167 (2) (2)

 なおラピュータでは次作も考えているようです。拡大する一方の自転車愛好家のために、かつて書いた自転車旅行を始めようを現代版にアレンジしたものを頼まれています。なるべく早く書いて、近いうちにお眼にかけたいと思います。





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のぐちやすお
2006年

大晦日
 10000kmに-63kmのため小田原からのYH青い風アプローチ。ところが宿を目前に1.5km足りず、800m通過してからUターンして無理やり10000kmに載せた。

12月30日 久々の房総一周233kmコース、これでどうにか滑り込めるか。明日63kmをクリアすればいいだけだし、天気も上々らしいし。だけど冬場の200kmオーバーは疲れる。
 安房地方で水仙が咲き出しました。去年は雪、一昨年は正月満開だったため、日程を合わせるのが難しいかもしれませんが、保田の水仙祭りはお勧めです。

28日
 とにかく走るしかない。本日、茂原街道入口ピストン。43km。
 
27日 ブログ開設一周年のアクセスは4700件でした。のべ4700人の皆様、閲覧ありがとうございました。今後もサイクリングのできごとをつれづれに綴って行きます。

忘れ物のヘルメットを回収しに早稲田まで。勤務後に82kmもかせげたのだから、たまには忘れ物もいいのかも。

25日 距離稼ぎに少しずつ走っています

24日
 今回の地平線会議に出席したら・・・、このブログの閲覧者、けっこういるのですね。反響の大きさに驚きました。
 その中でひとりから、医療従事者の喫煙について問われました。
 個人情報の問題が発生しやすいので、仕事のことは書かないようにしていますが・・・、これぐらいはいいでしょう。
 とにかく医療従事者の喫煙状況はひどいものです。某組織の調査によれば、看護師の喫煙率は平均の倍だとか。業務上のストレスが大きいから、とか理由付けしていますが、そんなの理由になるの? 時として息を止めて通過せざるを得ない空間が存在するほどです。

 23日に九十九里周遊ルートを走り、そのまま地平線会議へ。10000kmギブアップ宣言したら、そこをどうするかが専門家でしょ、とか言われてしまった。あと10日で残り700kmなんだけれど。
 23日 145km
 24日 ウグイスライン-茂原-大網街道で97km

18日 どうやらギブアップ宣言か。今年は10000kmが遠い、700kmを残して休みは4日のみ。この2ヶ月の論文対策が響いたか。その論文も本日提出したので、いくらか肩の荷が軽くはなったけれど、喜べるのは通ってからの話。もっとも通らなかったところで、来年もう一年学生をやるだけの話。通ってほしけれど、まだ学生でいたいような気もする今日この頃。

 9・10日:帰省 120km

 3日:近郊周遊で90km。

12月2日
 もうしばらくお許しください、12月20日の修士論文提出期限まで、メンテナンスがしにくい環境なので。
 12月2日現在で、残りはちょうど1000kmです。あと30日でクリアすべく走るつもりですが、当面は論文対策に追われます。
 なお親不知は、二週間を経てやっと落ち着きました。
 
11月23日
 ブログを3週間もほったらかしにしてしまいました。視聴者のみなさん、申し訳ありません。
 ①修士論文に追われています。締め切りが12月下旬なのです。コンピュータにらめっこの日々で眼が痛い。
 ②抜いた親不知がまだうづき、集中力に欠け仕事もいまひとつの状態。
 そんな日々がつづきました。JACCの会合も、同代表竹沢氏の誕生日記念ランも欠席の有様です。1カ月であと1158kmのノルマ、届くのかしら。

11月19日
 ちょっとした用事で立川まで77km走る。けれども前日抜いた親不知が効いて熱っぽい。往復するつもりも帰りは西武線、JRで輪行。帰ったら37.3度の熱。

11月12
 帰省で日帰り116km

11月3-4
 仕事がらみで水戸周辺を280kmをほど走行。このところの町村合併で昔の知識が役に立たない。坂東市から東に走ると現われる、進行方向つくば・つくばみらいという道路標識が、ひらがなだらけで読みにくい。合併のため町村境が減って、現在地の把握も分かりにくい。小美玉市とか城里市とかのネーミングも、なんとかならなかったのかしら。
 来春熱気球で太平洋横断に挑む、神田・安東両氏の手伝いに、熱気球製造工場へ(埼玉県吉川市のヤオ工業)。型紙から裁断する作業をじゃましたような手伝ったような二時間は、いやはや、地道な作業だった。

10月31日
 千葉市内をちょっとポタリング。これで残り2カ月を840km平均で10000kmクリア。さあ、行けるか。

10月28-29日
 仕事がらみの研修会で一泊。自転車で往復、周辺寄り道で179km。研修会にはレーサージャージで登場してインパクトを与えてみたが、3次会では充満するタバコの煙にものの5分で撃退された。
 だけど医療従事者って、どうしてタバコ好きなのだろう。信じがたい健康感覚だ。

10月27日
 地平線会議。モンゴルについて。旧外務省の人の話で、モンゴルの市場経済化は、ソ連崩壊によるものではなく、独自の研究の結果によるものだと知った。

10月21-22
 帰省:ノーマルコースなので130kmほど

10月13-16:神戸出張で走れず

10月9日
 7日
 富士スピードウエイ、150kmサイクルマラソン惨敗。脱水症状を起こし29周目は4.5kmに15分を要した。ここで補給し復活、33周目、つまり最終周回は8分台まで盛り返したが、ときすでに遅し5時間45分。4時間半は切れるだろうの目測も、これじゃあツーリングよりも遅い。
 来年、再チャレンジ。
 レース終わって三島に下り:このときの足の方がレースより走った:輪行、伊東へ移動しYH青い風へ。
 8日、青い風から熱海、小田原、山北経由でJACCキャンプ丹沢湖まで。
 9日、JACCメンバーと小田原、湘南サイクリングロード、鎌倉まで。
 3日間で420km走り、帰宅入浴後に体脂肪計ったら6.1%だって。


10月1日
 10月、残り3ヶ月でノルマに到達できるか。平均850kmでクリア、が、14、15の出張が痛い10月。

 放送大学の修士論文中間発表、どうにか順調経過の評価をいただきました。12月下旬の締め切りまでに書き上げ、1月上旬の面接で決まります。

9月30日 JACCランで江戸川サイクリングロードを関宿城まで往復。ちょっとしたハプニングからひとりリタイヤ。晴天の格好のサイクリング日和

9月23日・24日 帰省

9月14日
 ソウル-義政府-東豆川-漣川-臨津江沿い-汶山 158km
 14日 臨津川周辺ポタリング/ソウル市内ポタリング 43km
 15日 ソウル-金浦-仁川-永宗島 108km

 生涯のテーマ、世界一周細切れ編、ことしは韓国を走りDMZ(非武装地帯)から北朝鮮のケソン市を遠望してきました。
 しかし休みの都合とチケット申し込みのもたつきから、韓国を実質3日しか走れなかったので、とても形にはできませんでした。これで韓国本土は2回目ですが、京畿道、忠清南道しか走れておらず、いずれまた走らざるをえない状況です。
 詳しくはもうしばらくおまちください。

9月9日
 かねてからの懸案だった大弛峠が、JACC仲間の協力で突破できました。これで日本の2000m峠完了です。
 塩山からのルート状況
塩平まで :谷間の集落を行く、階段的に急勾配の道。厳しいルート。
焼山峠  :いきなり細い山道で勾配もつらい。不思議なほど。
大弛峠前半:こんなのでいいのかというほどなだらかな道が残8kmまで
   後半:峠なりの勾配が始まる。高度ゆえに雲がかかりやすく寒い
長野側  :ロードでは辛いダートが9.3km、谷川を渡るまで
      小川山の岩壁が美しい。
     :峠まで塩山から37km、信濃川上駅から30km。
 けっこう楽しめる峠だったので、今後も乗鞍レースの準備運動に利用したいと考えています。
 なお国内の2000m台峠は
 乗鞍畳平         2700m
 富士山新五合目(静岡側) 2400m
 富士山五合目 (山梨側) 2305m
 渋峠           2172m
 麦草峠          2127m
などです。:北沢峠は一般人の立ち入りを禁止。

9月3日
 帰省:143km
 利根川に新たにかかった若草大橋有料道路を渡ってきました。408号と、利根・印西との間にかかったばかりの橋です。自転車20円、川下側にきれいな自転車道あり。

 世界一周第三ラウンドを分かりやすく報告するために、整理すべくまとめています。追って報告します。

ゴール直後に息が落ち着いて。悔しい22分台は調整の失敗か年齢によるものか、答えは来年待ち

レース後はいつものように周辺探索。今年はもう一度畳平を越えて、飛騨を走る
 8月27日 乗鞍ヒルクライム・今年もチャンピオンクラスで参戦、最下位は避けたけれど、ついにチャンピオンクラス陥落か。1時間22分、2分のオーバー。申請してみるけれど。
 敗因は直前のオーバーワークに尽きた。前日から足のはりがひどく、当日は中間点よりかつて経験のない痙攣に襲われた。中間点からペースアップを図ればピク足に、だましだましの走行。少しでもペースアップ図れば痙攣し、ラスト5kmは5分ペースが精一杯、心肺も頭もなんともないのに、足だけが悔しいリタイア。
 もっとも来年そこをうまく調整したとして、それでも1時間20分切れなかったら、本当に年齢によるものなのかもしれない。でも来年は必ず20分きる。

26日:いつものように前日は薮原から境峠、白樺峠越えでアクセス。48km。
27日:レースです。往復とYH間で44km。
28日:もう一度登って、乗鞍岳にも登ってから一気のダウンヒル。丹生川から飛騨古川ユースに一泊。85km。
29日:白川郷に行こうとしたら天生峠が閉鎖であきらめ、別ルート(楢峠)から富山行きを考えたが、こちらも通行止めで、残ったのは宮川沿いと41号のみ。これでは物足りず、41号を引き返して名古屋まで走った。226km。 

25日
 乗鞍ヒルクライムに向けて、新宿発8時のあずさで塩尻経由薮原まで輪行、のち50km走って、乗鞍高原まで行きます。
 
 自転車から離れるけれど、もうひとつのテーマ、在学中の修士課程の論文下書きを担当教授に提出しました。どのような評価が得られるでしょうか。

20日 乗鞍準備で駿河湾から富士新5合目まで。57kmしかないんだけれどどうしても5時間かかってしまう。御殿場までは1時間そこそこだから、その先の30kmに4時間以上かかっている計算になる。これじゃ乗鞍、あやういなあ。

13日
帰省+霞ヶ浦一周 暑さにめげてペースダウン。歳とともに脱水に罹りやすくなっているみたい。この程度で、と思いつつも歳相応の行動を。
12日=78km
13日=152km

5日
 富士山に登るつもりも人数集まらず日光男体山に変更。昨年悪天候に阻まれた山への再起。山頂からの中禅寺湖、尾瀬連山、南会津の山々が雄大でした。

29日
 千葉-直江津 ワンデイラン 大幅に遅れて23:12着 詳細は追って書き込みます。翌30日は医療活動を行った中越地震の被災地に寄って、越後湯沢から帰着。346km+166km=512km。
 印象。
 同行した二人。俺と一回りもちがうのに、年寄りに引かせるな。下りで千切れんじゃねえ。

23日
 GIROさんの直江津ランが来週に迫ってきました。訪ねると相談にやってくる人でごったがえしていました。
 今年はいまのところ、最高齢62歳、女性2名を含む33名が出走予定。それでも行くというのだから、全国のサイクリストの皆さん、女だから、歳だから、は理由になりませんよ。
 コースは、メインの渋越えルートのほか、ノーマルの碓氷妙高組、三国十日町の3パターンです。
 帰省・123km。

 22日
 JACC定期ラン 高尾-大垂水峠-雛鶴峠-大月 59km。7人参加。JACCというとつわものどもの集まりと思われがちですが、このようなポタリングルートも計画して走っています。
 本日のヤマ場は旧雛鶴峠越ですかね。

16日
 九十九里周回ルート。海辺の込む季節になりました。

15日
 いまこのブログを書いている私の部屋は32℃です。昨夜は最低気温が30℃を下回らない熱帯夜のワンランク上の宵で、今日は1時間おきにベランダに打ち水して気温低下に努めています。
 だけどこれぐらい、アフリカじゃかわいいものだったけれどなあ。朝から38℃なんて中を走っていたし、51℃(ニジェール)まで上がった日もあった。45℃を越えて当たり前の日々が懐かしい。それが37℃(昨日の日本最高気温:お隣りの市原市)でも暑いと思うようじゃ、日本の生活も長くなったのかしら。
 走ろうかと思ったけれど、この気温じゃ今日も止め。

 ジロさんの走行キャンペーン。
 3000kmの方は未登録のためエントリー25人は、1530kmから240kmに収まり、うちオーバー1000kmは6人でした。
 本日直江津360kmの説明会があるというので出席予定

13日
 なんと、仕事で自転車に乗る羽目に。海っぺりをままちゃり5kmピストンです。

9日
ちょっとしたヤボ用事で熊谷を往復、183km。江戸川サイクリングロードを利用すると、意外と車を避けられます。

4日
 GIROさんから、6月自主走行キャンペーンで3000km走った人がいるとか。そういや19歳のときの最初の長距離サイクリングじゃ、37日間で4500km走ったっけ。

2日 実家往復・125km
  スイカマラソンの記録:56分16でした

7月1日
 地平線番外編で翌日もみんな集まった。

6月30日
 地平線会議に自転車ででかけて、今月は辛くも1000kmをクリア。ジロさんの月間走行は、1031.4km で申請。
 
しかし半年での5000kmはクリアできず、乗鞍のチャンピオンクラスが怪しくなってきたかも。
 地平線会議:田中幹也君の報告でしたが、着いたときは終わっていました。

25日
 ブログ開設半年が過ぎました。閲覧してくださっている方々、ありがとうございました。半年で2400件は予想以上の反響です。
 今後も、7月には直江津360km、乗鞍ヒルクライム、富士スピードウエイ100kmタイムトライアル、年に一本の海外サイクリングなど、結果を報告していきます。
 
 富里スイカマラソン。10.6km。
 まったくの練習なしに60分台の見積りも55分台で走れました。スタートラインまで届くのに2分以上かかっているので、正味53分といったところですかね。でもスイカはいつも暑い。
 片道と宴会会場まで自転車でいったので、今月は1000kmに届きそう。

24日
 千葉市内ポタリング。雨のはずが晴れたので、姉ヶ崎周回コースを散歩。

20日、21日
 あまりにも走れない6月に業を煮やし、仕事が終わってから走った。20日ポタリング千葉40km、21日姉ヶ崎ピストン64km。せめて月間1000kmは維持したい。

19日
 JACCミーティング。
 USAをほぼ横断した佐々山さんの報告と、シリア、ヨルダンを走ってきた木下さんの報告でした。

17日
 千葉県最南端、野島崎まで走る。そのままUターンしての200kmプランも、雨と日没に阻まれ富浦からの輪行に。140km。

11日
 JACC有志による甲州走行も、思わぬ驟雨のため笹子峠のみで終了、わずか17kmのクラブラン。
 後輩の松橋さんのデビュー走行は、散々な結果になってしいましたが、めげずに走ってください。

 10日 帰省 114km

 3日
 植村直己賞受賞者の面々が集合する兵庫県豊岡市(旧日高町)の大会参加。
 貧乏性のため、米原までを新幹線、以後、琵琶湖北岸を周回し今津から小浜に抜けて日本海岸を舞鶴、宮津と走り、但東から日高へ。
 到着し駅前のビジネスホテルから地平線会議のメンバーに連絡したらすぐ来いと。
 220kmクリアし、風呂に入ってから来いといわれても、の躊躇も無視する命令に向うべき先は峠のリゾートホテル。この13kmの長かったこと。しかしアウトドアー世界のそうそうたるメンバーの集まる集会はすごかった。でも疲れた236km。
 4日
 午前中はイベントに参加して正午にスタート、養父、福知山、丹波、京都と走っての輪行171km。昨夜の宴会に、9号線ごときの峠がしんどかった。
 それでも予定通り19時に京都に着き、二日で410kmをクリア、ちょっとオーバーワークだったかしら。

カメラ故障中のため写真なし

6月1日
 5月の走行たるや無残な結果に終わった。こんなに走れなかった5月も珍しい。天候不順が響いた。この調子じゃ7年連続の年間走行10000km達成が危ぶまれる。
 お世話になっているサイクルハウスGIROが今月も月間走行キャンペーンを行うという。6月は走りたいもの。
 自転車の距離メーターは、6月1日朝現在で6414kmから始まります。
 デジカメが転落から故障でドッグ入り。芳しくないので6月のボーナスで新調予定

5月28日
 この週末もヤボ用で満足に動けず、このままでは6月中に5,000km走れるのかしら。乗鞍も近いというのに、足が出来上がらない。

5月25日
 やっとパスポートが手にはいった。
 IC化に伴い、きわどいところで切り替え日に間に合わず、いったん失効させてから再申請という面倒くさい手続きを済ませてこのたび取得。パスポートのない生活はひやひやもの。
 50ページの厚さになり、中央に分厚いプラスチック様の紙面。これにICチップが内蔵されているという。なお磁気メディアごとく磁力に弱いとか。磁気によりICが壊れたらパスポートとしての機能は有するが、ICでないと認可されない国では不可なので、再発給申請になるらしい。
 デジカメが落下による故障。しばらく写真は撮れません。

5月23日
 モンテネグロがセルビアから分離独立の見込みらしい。旧ユーゴスラビアは思い出に残る国。1984年11月に、ギリシャから入って、マケドニア-コソボ-モンテネグロ-ボスニア・ヘルツェゴビア-クロアチア-スロベニアと走って、イタリアのリエッカに抜けた。その後国家は解体
、空爆を受けたコソボの民人やボスニア独立戦争で疲弊したサラエボの町、いまはどうなっているのやら。

5月21日
 友人たち4人で天城山登山。富士山以来の人の多さにびっくり。山頂付近は馬酔木がまだ残っていて石楠花が咲きだしたぐらい。ミツバツツジは全盛期です。
 そんなわけで今月は距離が伸びない。

5月15日
 JACCミーティング
 近日中の帰国、出発報告なし。連絡事項で終了しました。
 有志で6月11日に、笹子-御坂-籠坂の3峠を越えようかという話が出ました。参加の予定です。

5月14日
 不覚にもカゼをひき、Giro主催の奥多摩ツーリング欠席

5月7日
 エストニアのサイクリスト夫妻が立ち寄って行きました。北京から韓国経由で下関に上陸、日本を走ってきたとか。
 エストニアといえば93年に開国したばかりのころ走ったっけ。ソ連が崩壊し、バルト3国が自由に行けるようになった直後のころ。ヘルシンキからタリンまでのフェリーに乗り、90年(今は100年)前にここをバルチック艦隊が通過して行ったのかと感慨にふけったものでした。

6日
 今年は珍しくゴールデンウイークが休みに。それで出かけたら、なんなのこの人出は、3日でギブアップし帰路へ。このような休日は仕事するにかぎりますね。
 桐、山藤などのむらさき系の花がめだってきました。トンネルや林のうっそうとした道端にはシャガも開いています。
 熱海-伊豆高原-下田-松崎-旧天城トンネル-沼津-富士川-身延-甲府 318km 特急を使う気にもなれず、ノーマル運賃の飛行機も避けて、各駅輪行可能な近場の走行です。

30日 帰省ついでに銚子まで走ってきました。香取市(旧佐原市)からは千葉県サイドを利根川サイクリングロードで、小見川、笹川と走り、サイクリングロードの終点の椎柴まで。帰りは296号を一直線に。
銚子駅となりの妙福寺の藤はこの連休の最終日あたりがピークになりそう。その他、樹木でははなみずきの花が、利根川の土手にはスイバが一面に広がっています。そしてなんといっても田植えが始まりました。
 この日、185km

27日
 地平線会議:関野吉晴教授の話のためいつもの倍近く集まり、少しばかり混雑ぎみ。サハリンでの報告でした。

22日 ちょっと疲れた房総一周。快晴の空模様に丸一日走りたくなり、勝浦、野島崎、館山、木更津経由と、海岸線づたいに走ってきました。
271km。
桜は散りましたが、八重桜は最盛期、つつじも開いてきました。こぶしも今ごろのはずですが、房総北部はともかく南部では見かけません。庭木ではハナズオウの濃い赤紫色が、道端ではアラセイトウが目立ちます。

16日 JACC関東支部・箱根ランの結果
 9時に鎌倉駅を出て湘南サイクリングロードを走り、国府津から内陸へ。大雄山経由で矢倉沢峠経由の湯本まで。快晴のすがすがしいサイクリングになりました。最後は湯本のカッパの湯で宴会です。
 参加者:高岡、福田、川島、中村、埜口。83km。
 矢倉沢峠、箱根にしては静かな峠でした。


放浪中の写真

リカンカブールアタカマ高原の麗峰リカンカブール、5924m。この村サンペドロ・デ・アタカマから4日がかりの峰だった。チリ。86年5月


ベルデ湖
そのリカンカブールの中腹から眺めたボリビア側の塩湖、ラグーナ・ベルデ。もっとも気に入っている写真のひとつ

アタカマ砂漠
アタカマ高地の登山(リカンカブールとサンペドロ)を終えて、世界的な乾燥地帯、チリ北端のアタカマ砂漠を走る。ここは南米太平洋戦争で負けたペルー・ボリビア連合軍の失地

アンカレッジ
旅立ちの日。初めての海外旅行で、初めて乗った飛行機の降り立ったアラスカのアンカレッジ。まさかこのあと5年10ヶ月もつづく旅になろうとは。23歳の春。81年5月

FH000100.jpg
今世紀最大の悲劇のひとつ、ナチスによるユダヤ・ホロコーストの地。歩くこの森には100万人もの遺骨が散布されている。ポーランド。93年8月

ワスカラン
一見して大雪平原だが、ここにたどり着くまでが大変だった、我が最良の思い出の山、ワスカラン。6768m。相棒は河野、拙書みかん畑に帰りたかったを参照。86年7月10日登頂

ノードカップ
ヨーロッパの北のはずれ、ノードカップ。背後は北極海。3週間も沈まぬ太陽に、気がつけばもはや10時かのオーバーワークの日々だった。だけどひまわりが咲いていたらねじ切れてしまうだろうに。93年7月、ノルウェー

サハラを越えて
サハラを越えた町の宿でスポークの張替え中。しかたないけれどアフリカはパーツ不足です。手前はマンゴ。85年3月、ニジェール

サハラを越えて
野口英世終焉の地となったアクラ(ガーナ)のリッジ病院。一般的にはコルレブ病院説だが:現地人の弟子を枕もとに呼んだが、コルレブは当時黒人の立ち入りを禁止ていたという:状況からこっちらしい。この日もそのときと同じように:遠き落日(渡辺淳一):蝉時雨の激しい昼下がりだった。85年6月

サファリ
アフリカを走っていると突然・・・、そんなことはありません。マサイマラ国立公園で、私はむろん車の中。

レナナ
ケニア山第3峰レナナ、4985m。この4日後に背後のバチアンに登頂するが、北壁をリードしてくれた山田利昭兄は半年後アコンカグア南壁に斃れてしまう

サハラ砂漠
アトラス山脈を越えて、たちまちのうちに乾燥してきた世界に、ちょっと疲れたかな。モロッコ・84年5月

鈴木牧場
ブラジルでは日経移民の方々に、さんざんお世話になりました。同じ茨城県人として東海村出身の鈴木さんの牧場で。中央部馬上が24歳の私。82年・9月

パカヤ火山
グアテマラのパカヤ活火山
 活火山の火口を見るという、あな恐ろしげなツアーに参加。山頂まであと数歩の火口輪で噴火、ツアー客全員が一目散に逃げた。93年10月

イースター・モアイ像
1回目の旅の最後は南米から南太平洋経由オーストラリア行き。その途中でイースター島にストップオーバー。86年9月


テーマ:プロ野球 - ジャンル:スポーツ

自転車で旅をすること | 19:17:46 | Trackback(1) | Comments(5)
世界サイクリング
3 第3ラウンド細切編

サラリーマンでは無理な相談だ、という人が多いため、誰でも無理なく自転車で世界一周ができるよう、年一回一週間ずつ40回繰り返せば地球が一周できるよいうことを、わが身をもって実践しています。
 いずれも500kmから700kmの走行です

 なおこの経過は順不同で、2008年1月から月刊バイシクルクラブ誌に連載中です



細切れ編の完了予定

これまでに全体の15%を消化。現時点で2038年完了の見込み
⑫コロラド 2007
14年ぶりに4000m台へ。USAの中央部、コロラド州のMt.エバンスへ。北米大陸でもっとも高いところまで上がるという道の終点まで。4315m、山頂は4342mでした。ふもとのエバーグリーンから7時間の登りでした。

⑪韓国・京畿道 2006
5日の休みでソウル・臨津江周辺・仁川ルート 380km 児島襄の朝鮮戦争の舞台を走ってきました。平和ボケした日本にいると、たまにはこのような世界の現実を味会わないと取り残されそう。

⑩中国・広東広西 2005
どんなものか走ってみた広東から広西への600km。105ヵ国目。くわしくはリンク先のサイクルハウス・ジロのホームページへ。
 広州へ飛びバスで肇慶まで移動。自転車を買って桂林へ。
 1日目 徳慶
 2   梧州
 3   大平
 4   永安
 5   朔陽
 6   両江(桂林)  飛行機
 7   広州
 以上のルート
 圧倒されたるは熱気むんむんの中国経済力のひとことにつきた。足となったのは中国ならばと選んだ現地調達のママチャリ。
 走ってみて初めて、ママチャリの峠越えの厳しさを知った。伸びぬ腕に肩に力が入らず、足に力が伝わらないママチャリの峠越えが、こんなに疲れるとは。
 全行程605km。


⑨ニューヨーク 2004
出稼ぎの日々を送ったニューヨーク再訪。この近くに住む、一緒にアメリカを横断したジョンを訪ねて。のちに彼は頚椎損傷で車椅子の身になってしまい、会うには私から尋ねるのみとなった。
 初日は市の郊外で宿を確保、2日目にマンハッタンの回想にふけってから対岸のジョンの家に向かうために、ダウンタウンの波止場からホーバークラフトでニュージャージへ。そのままその周辺を走行


⑧スイス・ドイツ 2003
スイスのチューリッヒから、宗教革命に先駆けたフス火刑の地となったボーデン湖畔のコンスタンツ、ドナウとラインの分水嶺を右往左往しつつ、ライン源流を訪ねてバーデンを北上し、トラオボス博士を再訪したコース。
 これで細切欧州編はパリからフランクフルト経由チューリッヒまでつながる


2002年。
おろかにも通勤中に自爆事故を起こしてしまい、なんと頭蓋骨を骨折、鼻漏までしでかしてしまった。同僚に迷惑かけてしまっては海外サイクリングも自粛せざるをえず。
 ところがその直後に、北極海で遭難死した友人の行動を記録した

「みかん畑に帰りたかった」

が小学館のノンフィクション大賞に選ばれてびっくり

⑦フランス・ドイツ 2001
パリをスタートにシャロンまでは鉄道、走り出してアルザスを経由し、ラインを渉ってドイツに入り、ワインガルテンのトラオボス博士を再訪した。この年、彼の住む町の名物、ハイデルベルク王家ご用達のワインを100本買って、初めての個人輸入にも挑戦。
 なおこのワインのうまいこと、他のワインが飲めなくなった


⑥韓国中部 2000
おとなりの歴史を求めて走った、京城、水原、扶余、公州の道。百済王朝の盛衰が昨夜のような日々。
 仙台在住の友人、伊藤さんと共に走る


1999年はニューヨークマラソンに参加。4時間40分の自己ワースト記録を樹立。
 台湾も走ったが、たった3日と第3ラウンドの主旨から大きく外れているので省略


⑤カナダ西海岸 1998
バンクーバーからサーモンアームまでの900km。避暑に行ったつもりが、日本よりも暑い連日の40度に、あきれた一週間

④韓国済州島 1997
104カ国目。やっと訪れることのできたお隣り韓国の済州島。韓国最高峰ハンラ山登山も計画内だったが、自然保護のため入山禁止で断念

③ドイツ 1996
お世話になったもうひとりがドイツ・バーデン州のトラオボス博士。フランクフルトに立ち、彼を訪ねてローテンブルグ、デュンケルスビュール、ネルトリンゲンと、ロマンテッシュ・ストラッセを走る
 ロマンティッシュ街道の旅と銘うつ旅行代理店の旅。これは国道一号線を東海道と称してバスで移動しているようなもの。本当の街道は点在する村の中を走っていく


②フロリダ 1995
居候先に残した荷物の引き上げ目的に走った、アトランタからブレイデントンまでの道。その途中では、風とともに去りぬの、タラの地も通過する。
 長旅のなかで、もっともお世話になったバーカーさんとの再会が最大の喜び。しかしそのバーカーさんも2003年没


①台湾東海岸 1994
交通量の多い西海岸を避けて高雄まではバス移動。そこから最南端に向かい、東海岸を台東、花連、宜蘭まで走る。圧巻は花連以北の清水の大断崖だが現在は通行止めになってしまったらしい

2 第2ラウンド

43ヶ国 27000km

1回目で走りきれなかった地域を結ぶために走った、カリブ海一周と北欧、旧ソ連諸国、東欧の1年2ヵ月。
92年7月から93年9月まで。

フロリダ滞在Ⅰ
英語力の復活をかねて車の免許取得。英語受験は厳しかったけど楽しかった。

中米
ユカタン半島に飛び、中米7カ国を主な山を登りつつパナマまで。
パナマからメデリン(コロンビア)まで飛行機。

南米
コロンビアを北半周し、ククタからベネズエラ入国。カラカスまでは奥地のオリノコ川を経由する

カリブ海
プエルトリコを起点にカリブ海の島々10島を走る。小さくも世界的歴史にもてあそばれた島々だった

フロリダ滞在Ⅱ
フロリダにもどって旅の整理とスキューバの免許を取得しロンドンに飛ぶ

北欧東欧
ロンドン上陸のちベネルクスからドイツ経由で北欧へ。最北端ノードカップ、最東端キルケネスなどをめぐり、ロシア領ムルマンスクツアーにも参加できた。
以後バルト三国経由で南下し、どさくさに紛れて白ロシア、ウクライナも走り、ポーランド、スロバキア、チェコときてドイツよりり帰国する27000km



1 第1ラウンド

70ヶ国 85000km
世界を自分の足で走りたくて決行した初めての海外旅行。

北米 約17000km
初めての異国の地、アラスカのアンカレッジに立ってから一目散にカナダを横断し大西洋へ。ここより東海岸を下ってニューヨーク、フロリダ。以後西に進み、テキサス経由でメキシコまで来たが、中米の政情不安に遭遇し、やむなく南米へと飛ぶことに。

南米 約8000km
物価急降下にペースまでもが急降下。エクアドルより走り出して太平洋岸を南下しペルー、アンデスを越えてボリビア、ブラジル、パラグアイ、アルゼンチン、ウルグアイ、ブラジルへの道をたどる。
アンデスの高嶺、インカ帝国の遺跡、パンパの大平原が連続する感動のままに過ぎていく。困ったのはブラジル。あまりにも親切な日系移民の、連日の大歓迎には音を上げて、アマゾンや北部の地は断念することに


メキシコ
ヨーロッパに向けての越冬地として選択、5ヶ月を過ごす。アステカの遺跡、コルテスの軌跡、ユカタンマヤの栄光とくまなく訪れられて大満足のビバ・メヒコ


ヨーロッパⅠ 8000km
 ロンドンから走り出し、英、仏、ベネルクス、北欧。けれども中南米の物価を知ってしまった身に欧州の物価は心臓に悪い。たちまち使い果たし、かといって帰国する気にもならず、ニューヨーク出稼ぎを決意する


ニューヨーク出稼ぎ
 資金稼ぎ目的だから労働条件などいとうか。即決で稼ぎたく日13時間労働に甘んじて、7ヶ月で7000ドルを溜め込み、ヨーロッパ再飛行


ヨーロッパⅡ
 マドリードより再出帆。イベリア半島を走り、ジブラルタルを渡って初のアフリカ大陸上陸。しかし目的は残った欧州走破だから、ふたたび欧州大陸にもどってスコットランド最北端へと北上。さらにヨーロッパアルプスから東欧諸国を突破し、ブルガリアからイスタンブールまできた。
そして悩んだ。アジアを走るべきかアフリカを走るべきか、迷いながらも前輪はアフリカへアフリカへと向いてしまい、いつのまにかUターン、ダータネルス海峡を越えてギリシャ、ユーゴへ。そしてイタリアを南下、目の前にサハラが広がるところまで下ってきた。
 欧州では登山の楽しみを知った。モンブラン登頂がそのきっかけになる


西アフリカ
地中海を渡りチュニスに上陸、サハラ縦走路に着手する。見渡すかぎりの砂漠を走りつつガルダイアでサハラ縦貫道に合流、行けども行けども干からびた大地を、インサラー、タマンラセット、アガデスと走って世界最大の砂漠を突破した(タマンラセット→アルリッツはヒッチ)。
目指すはギニア湾、そのままひたすら南下しサヘル地方を走りぬけたが、象牙海岸のカティオラでついに逃れられえぬ関門、肝炎に捕まってしまう。
 覚悟を決めて入院45日ののちに復活、5カ月がかりで海を見る。と、ここで隣国ガーナの国境オープンを知り東へと進めたが、西アフリカの雄ナイジェリア国境はついに開かず、コトノウから東アフリカへの一気のフライトを決める。

東アフリカ
 東アフリカの高地は、地獄のような暑さのサヘルに比べるとまるで天国だった。シマウマやキリンと戯れながら、キリマンジャロとケニア山主峰にも登れて満足し、再び自転車の旅人となってタンザニアを過ぎてマラウイへ。ここで肝炎につづく第二の関門、湖畔で蚊にさされまってマラリアの洗礼を受け、ビクトリア滝で一週間のびていた。
 そして復活、意地でも行きたい最南端の地をめざして南アフリカへと走り、アパルトヘイトに悩まされながらもトランスバールを越えてアガラス岬にたどりついた。
 サハラを越え、キリマンジャロに登り、トランスバールを突破してきた丸一年のアフリカも喜望峰に終結した


 南米登山
 モンブランに始まり、ケニア山主峰、キリマンジャロにと登っているうちにアンデスの山にも登りたくなった。それで南米にもどり、アコンカグアに登っていたら、ケニア山北壁を引き上げてくれた友人が高度障害で死んでしまう。その遺体搬送(失敗し現地埋葬に)を終えてからぺルーアンデスにも足を伸ばし、インカの崇拝する高峰、ワスカラン、トクヤラフなどにも登る。このとき相棒となったのが河野兵市、後に日本人初の北極点歩行到達の快挙をなしとげた友である。彼とともの軌跡をつづった記録が、小学館のノンフィクション大賞に選ばれ、「みかん畑に帰りたかった」で発刊されたので、内容はこの本を参照されたし。

南太平洋
 残金は2000ドルを割っていた。しかしトクヤラフの仕事で思いがけぬ金が入り、中米突破ロスアンゼルスからの帰国予定が南太平洋経由オーストラリア行きのルートを選択することができた。
サンチアゴで日本までのチケットを購入、6年ぶりの帰国が現実味をおびてくる。そこまでたどったのは、イースター、タヒチ、サモア、フィジー、ニューカレドニア、ニュージーランドへの道。そして仕上げはオーストラリア東海岸。もっとのつまらないルートだったものの、全財産305ドルにここしか選択できず。一本のスポークが折れるたびに冷や汗をかきつつも、2ヶ月がかりでメルボルンからケアンズまで走り抜けて、我が世界一周の旅は完結する。
 成田に着いたとき、ポケットには1ドル札が12枚しか残っていなかった。



















世界サイクリング編 | 21:19:11 | Trackback(0) | Comments(0)

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