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ビシクレッタ

Author:ビシクレッタ
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のぐちやすお
2006年

大晦日
 10000kmに-63kmのため小田原からのYH青い風アプローチ。ところが宿を目前に1.5km足りず、800m通過してからUターンして無理やり10000kmに載せた。

12月30日 久々の房総一周233kmコース、これでどうにか滑り込めるか。明日63kmをクリアすればいいだけだし、天気も上々らしいし。だけど冬場の200kmオーバーは疲れる。
 安房地方で水仙が咲き出しました。去年は雪、一昨年は正月満開だったため、日程を合わせるのが難しいかもしれませんが、保田の水仙祭りはお勧めです。

28日
 とにかく走るしかない。本日、茂原街道入口ピストン。43km。
 
27日 ブログ開設一周年のアクセスは4700件でした。のべ4700人の皆様、閲覧ありがとうございました。今後もサイクリングのできごとをつれづれに綴って行きます。

忘れ物のヘルメットを回収しに早稲田まで。勤務後に82kmもかせげたのだから、たまには忘れ物もいいのかも。

25日 距離稼ぎに少しずつ走っています

24日
 今回の地平線会議に出席したら・・・、このブログの閲覧者、けっこういるのですね。反響の大きさに驚きました。
 その中でひとりから、医療従事者の喫煙について問われました。
 個人情報の問題が発生しやすいので、仕事のことは書かないようにしていますが・・・、これぐらいはいいでしょう。
 とにかく医療従事者の喫煙状況はひどいものです。某組織の調査によれば、看護師の喫煙率は平均の倍だとか。業務上のストレスが大きいから、とか理由付けしていますが、そんなの理由になるの? 時として息を止めて通過せざるを得ない空間が存在するほどです。

 23日に九十九里周遊ルートを走り、そのまま地平線会議へ。10000kmギブアップ宣言したら、そこをどうするかが専門家でしょ、とか言われてしまった。あと10日で残り700kmなんだけれど。
 23日 145km
 24日 ウグイスライン-茂原-大網街道で97km

18日 どうやらギブアップ宣言か。今年は10000kmが遠い、700kmを残して休みは4日のみ。この2ヶ月の論文対策が響いたか。その論文も本日提出したので、いくらか肩の荷が軽くはなったけれど、喜べるのは通ってからの話。もっとも通らなかったところで、来年もう一年学生をやるだけの話。通ってほしけれど、まだ学生でいたいような気もする今日この頃。

 9・10日:帰省 120km

 3日:近郊周遊で90km。

12月2日
 もうしばらくお許しください、12月20日の修士論文提出期限まで、メンテナンスがしにくい環境なので。
 12月2日現在で、残りはちょうど1000kmです。あと30日でクリアすべく走るつもりですが、当面は論文対策に追われます。
 なお親不知は、二週間を経てやっと落ち着きました。
 
11月23日
 ブログを3週間もほったらかしにしてしまいました。視聴者のみなさん、申し訳ありません。
 ①修士論文に追われています。締め切りが12月下旬なのです。コンピュータにらめっこの日々で眼が痛い。
 ②抜いた親不知がまだうづき、集中力に欠け仕事もいまひとつの状態。
 そんな日々がつづきました。JACCの会合も、同代表竹沢氏の誕生日記念ランも欠席の有様です。1カ月であと1158kmのノルマ、届くのかしら。

11月19日
 ちょっとした用事で立川まで77km走る。けれども前日抜いた親不知が効いて熱っぽい。往復するつもりも帰りは西武線、JRで輪行。帰ったら37.3度の熱。

11月12
 帰省で日帰り116km

11月3-4
 仕事がらみで水戸周辺を280kmをほど走行。このところの町村合併で昔の知識が役に立たない。坂東市から東に走ると現われる、進行方向つくば・つくばみらいという道路標識が、ひらがなだらけで読みにくい。合併のため町村境が減って、現在地の把握も分かりにくい。小美玉市とか城里市とかのネーミングも、なんとかならなかったのかしら。
 来春熱気球で太平洋横断に挑む、神田・安東両氏の手伝いに、熱気球製造工場へ(埼玉県吉川市のヤオ工業)。型紙から裁断する作業をじゃましたような手伝ったような二時間は、いやはや、地道な作業だった。

10月31日
 千葉市内をちょっとポタリング。これで残り2カ月を840km平均で10000kmクリア。さあ、行けるか。

10月28-29日
 仕事がらみの研修会で一泊。自転車で往復、周辺寄り道で179km。研修会にはレーサージャージで登場してインパクトを与えてみたが、3次会では充満するタバコの煙にものの5分で撃退された。
 だけど医療従事者って、どうしてタバコ好きなのだろう。信じがたい健康感覚だ。

10月27日
 地平線会議。モンゴルについて。旧外務省の人の話で、モンゴルの市場経済化は、ソ連崩壊によるものではなく、独自の研究の結果によるものだと知った。

10月21-22
 帰省:ノーマルコースなので130kmほど

10月13-16:神戸出張で走れず

10月9日
 7日
 富士スピードウエイ、150kmサイクルマラソン惨敗。脱水症状を起こし29周目は4.5kmに15分を要した。ここで補給し復活、33周目、つまり最終周回は8分台まで盛り返したが、ときすでに遅し5時間45分。4時間半は切れるだろうの目測も、これじゃあツーリングよりも遅い。
 来年、再チャレンジ。
 レース終わって三島に下り:このときの足の方がレースより走った:輪行、伊東へ移動しYH青い風へ。
 8日、青い風から熱海、小田原、山北経由でJACCキャンプ丹沢湖まで。
 9日、JACCメンバーと小田原、湘南サイクリングロード、鎌倉まで。
 3日間で420km走り、帰宅入浴後に体脂肪計ったら6.1%だって。


10月1日
 10月、残り3ヶ月でノルマに到達できるか。平均850kmでクリア、が、14、15の出張が痛い10月。

 放送大学の修士論文中間発表、どうにか順調経過の評価をいただきました。12月下旬の締め切りまでに書き上げ、1月上旬の面接で決まります。

9月30日 JACCランで江戸川サイクリングロードを関宿城まで往復。ちょっとしたハプニングからひとりリタイヤ。晴天の格好のサイクリング日和

9月23日・24日 帰省

9月14日
 ソウル-義政府-東豆川-漣川-臨津江沿い-汶山 158km
 14日 臨津川周辺ポタリング/ソウル市内ポタリング 43km
 15日 ソウル-金浦-仁川-永宗島 108km

 生涯のテーマ、世界一周細切れ編、ことしは韓国を走りDMZ(非武装地帯)から北朝鮮のケソン市を遠望してきました。
 しかし休みの都合とチケット申し込みのもたつきから、韓国を実質3日しか走れなかったので、とても形にはできませんでした。これで韓国本土は2回目ですが、京畿道、忠清南道しか走れておらず、いずれまた走らざるをえない状況です。
 詳しくはもうしばらくおまちください。

9月9日
 かねてからの懸案だった大弛峠が、JACC仲間の協力で突破できました。これで日本の2000m峠完了です。
 塩山からのルート状況
塩平まで :谷間の集落を行く、階段的に急勾配の道。厳しいルート。
焼山峠  :いきなり細い山道で勾配もつらい。不思議なほど。
大弛峠前半:こんなのでいいのかというほどなだらかな道が残8kmまで
   後半:峠なりの勾配が始まる。高度ゆえに雲がかかりやすく寒い
長野側  :ロードでは辛いダートが9.3km、谷川を渡るまで
      小川山の岩壁が美しい。
     :峠まで塩山から37km、信濃川上駅から30km。
 けっこう楽しめる峠だったので、今後も乗鞍レースの準備運動に利用したいと考えています。
 なお国内の2000m台峠は
 乗鞍畳平         2700m
 富士山新五合目(静岡側) 2400m
 富士山五合目 (山梨側) 2305m
 渋峠           2172m
 麦草峠          2127m
などです。:北沢峠は一般人の立ち入りを禁止。

9月3日
 帰省:143km
 利根川に新たにかかった若草大橋有料道路を渡ってきました。408号と、利根・印西との間にかかったばかりの橋です。自転車20円、川下側にきれいな自転車道あり。

 世界一周第三ラウンドを分かりやすく報告するために、整理すべくまとめています。追って報告します。

ゴール直後に息が落ち着いて。悔しい22分台は調整の失敗か年齢によるものか、答えは来年待ち

レース後はいつものように周辺探索。今年はもう一度畳平を越えて、飛騨を走る
 8月27日 乗鞍ヒルクライム・今年もチャンピオンクラスで参戦、最下位は避けたけれど、ついにチャンピオンクラス陥落か。1時間22分、2分のオーバー。申請してみるけれど。
 敗因は直前のオーバーワークに尽きた。前日から足のはりがひどく、当日は中間点よりかつて経験のない痙攣に襲われた。中間点からペースアップを図ればピク足に、だましだましの走行。少しでもペースアップ図れば痙攣し、ラスト5kmは5分ペースが精一杯、心肺も頭もなんともないのに、足だけが悔しいリタイア。
 もっとも来年そこをうまく調整したとして、それでも1時間20分切れなかったら、本当に年齢によるものなのかもしれない。でも来年は必ず20分きる。

26日:いつものように前日は薮原から境峠、白樺峠越えでアクセス。48km。
27日:レースです。往復とYH間で44km。
28日:もう一度登って、乗鞍岳にも登ってから一気のダウンヒル。丹生川から飛騨古川ユースに一泊。85km。
29日:白川郷に行こうとしたら天生峠が閉鎖であきらめ、別ルート(楢峠)から富山行きを考えたが、こちらも通行止めで、残ったのは宮川沿いと41号のみ。これでは物足りず、41号を引き返して名古屋まで走った。226km。 

25日
 乗鞍ヒルクライムに向けて、新宿発8時のあずさで塩尻経由薮原まで輪行、のち50km走って、乗鞍高原まで行きます。
 
 自転車から離れるけれど、もうひとつのテーマ、在学中の修士課程の論文下書きを担当教授に提出しました。どのような評価が得られるでしょうか。

20日 乗鞍準備で駿河湾から富士新5合目まで。57kmしかないんだけれどどうしても5時間かかってしまう。御殿場までは1時間そこそこだから、その先の30kmに4時間以上かかっている計算になる。これじゃ乗鞍、あやういなあ。

13日
帰省+霞ヶ浦一周 暑さにめげてペースダウン。歳とともに脱水に罹りやすくなっているみたい。この程度で、と思いつつも歳相応の行動を。
12日=78km
13日=152km

5日
 富士山に登るつもりも人数集まらず日光男体山に変更。昨年悪天候に阻まれた山への再起。山頂からの中禅寺湖、尾瀬連山、南会津の山々が雄大でした。

29日
 千葉-直江津 ワンデイラン 大幅に遅れて23:12着 詳細は追って書き込みます。翌30日は医療活動を行った中越地震の被災地に寄って、越後湯沢から帰着。346km+166km=512km。
 印象。
 同行した二人。俺と一回りもちがうのに、年寄りに引かせるな。下りで千切れんじゃねえ。

23日
 GIROさんの直江津ランが来週に迫ってきました。訪ねると相談にやってくる人でごったがえしていました。
 今年はいまのところ、最高齢62歳、女性2名を含む33名が出走予定。それでも行くというのだから、全国のサイクリストの皆さん、女だから、歳だから、は理由になりませんよ。
 コースは、メインの渋越えルートのほか、ノーマルの碓氷妙高組、三国十日町の3パターンです。
 帰省・123km。

 22日
 JACC定期ラン 高尾-大垂水峠-雛鶴峠-大月 59km。7人参加。JACCというとつわものどもの集まりと思われがちですが、このようなポタリングルートも計画して走っています。
 本日のヤマ場は旧雛鶴峠越ですかね。

16日
 九十九里周回ルート。海辺の込む季節になりました。

15日
 いまこのブログを書いている私の部屋は32℃です。昨夜は最低気温が30℃を下回らない熱帯夜のワンランク上の宵で、今日は1時間おきにベランダに打ち水して気温低下に努めています。
 だけどこれぐらい、アフリカじゃかわいいものだったけれどなあ。朝から38℃なんて中を走っていたし、51℃(ニジェール)まで上がった日もあった。45℃を越えて当たり前の日々が懐かしい。それが37℃(昨日の日本最高気温:お隣りの市原市)でも暑いと思うようじゃ、日本の生活も長くなったのかしら。
 走ろうかと思ったけれど、この気温じゃ今日も止め。

 ジロさんの走行キャンペーン。
 3000kmの方は未登録のためエントリー25人は、1530kmから240kmに収まり、うちオーバー1000kmは6人でした。
 本日直江津360kmの説明会があるというので出席予定

13日
 なんと、仕事で自転車に乗る羽目に。海っぺりをままちゃり5kmピストンです。

9日
ちょっとしたヤボ用事で熊谷を往復、183km。江戸川サイクリングロードを利用すると、意外と車を避けられます。

4日
 GIROさんから、6月自主走行キャンペーンで3000km走った人がいるとか。そういや19歳のときの最初の長距離サイクリングじゃ、37日間で4500km走ったっけ。

2日 実家往復・125km
  スイカマラソンの記録:56分16でした

7月1日
 地平線番外編で翌日もみんな集まった。

6月30日
 地平線会議に自転車ででかけて、今月は辛くも1000kmをクリア。ジロさんの月間走行は、1031.4km で申請。
 
しかし半年での5000kmはクリアできず、乗鞍のチャンピオンクラスが怪しくなってきたかも。
 地平線会議:田中幹也君の報告でしたが、着いたときは終わっていました。

25日
 ブログ開設半年が過ぎました。閲覧してくださっている方々、ありがとうございました。半年で2400件は予想以上の反響です。
 今後も、7月には直江津360km、乗鞍ヒルクライム、富士スピードウエイ100kmタイムトライアル、年に一本の海外サイクリングなど、結果を報告していきます。
 
 富里スイカマラソン。10.6km。
 まったくの練習なしに60分台の見積りも55分台で走れました。スタートラインまで届くのに2分以上かかっているので、正味53分といったところですかね。でもスイカはいつも暑い。
 片道と宴会会場まで自転車でいったので、今月は1000kmに届きそう。

24日
 千葉市内ポタリング。雨のはずが晴れたので、姉ヶ崎周回コースを散歩。

20日、21日
 あまりにも走れない6月に業を煮やし、仕事が終わってから走った。20日ポタリング千葉40km、21日姉ヶ崎ピストン64km。せめて月間1000kmは維持したい。

19日
 JACCミーティング。
 USAをほぼ横断した佐々山さんの報告と、シリア、ヨルダンを走ってきた木下さんの報告でした。

17日
 千葉県最南端、野島崎まで走る。そのままUターンしての200kmプランも、雨と日没に阻まれ富浦からの輪行に。140km。

11日
 JACC有志による甲州走行も、思わぬ驟雨のため笹子峠のみで終了、わずか17kmのクラブラン。
 後輩の松橋さんのデビュー走行は、散々な結果になってしいましたが、めげずに走ってください。

 10日 帰省 114km

 3日
 植村直己賞受賞者の面々が集合する兵庫県豊岡市(旧日高町)の大会参加。
 貧乏性のため、米原までを新幹線、以後、琵琶湖北岸を周回し今津から小浜に抜けて日本海岸を舞鶴、宮津と走り、但東から日高へ。
 到着し駅前のビジネスホテルから地平線会議のメンバーに連絡したらすぐ来いと。
 220kmクリアし、風呂に入ってから来いといわれても、の躊躇も無視する命令に向うべき先は峠のリゾートホテル。この13kmの長かったこと。しかしアウトドアー世界のそうそうたるメンバーの集まる集会はすごかった。でも疲れた236km。
 4日
 午前中はイベントに参加して正午にスタート、養父、福知山、丹波、京都と走っての輪行171km。昨夜の宴会に、9号線ごときの峠がしんどかった。
 それでも予定通り19時に京都に着き、二日で410kmをクリア、ちょっとオーバーワークだったかしら。

カメラ故障中のため写真なし

6月1日
 5月の走行たるや無残な結果に終わった。こんなに走れなかった5月も珍しい。天候不順が響いた。この調子じゃ7年連続の年間走行10000km達成が危ぶまれる。
 お世話になっているサイクルハウスGIROが今月も月間走行キャンペーンを行うという。6月は走りたいもの。
 自転車の距離メーターは、6月1日朝現在で6414kmから始まります。
 デジカメが転落から故障でドッグ入り。芳しくないので6月のボーナスで新調予定

5月28日
 この週末もヤボ用で満足に動けず、このままでは6月中に5,000km走れるのかしら。乗鞍も近いというのに、足が出来上がらない。

5月25日
 やっとパスポートが手にはいった。
 IC化に伴い、きわどいところで切り替え日に間に合わず、いったん失効させてから再申請という面倒くさい手続きを済ませてこのたび取得。パスポートのない生活はひやひやもの。
 50ページの厚さになり、中央に分厚いプラスチック様の紙面。これにICチップが内蔵されているという。なお磁気メディアごとく磁力に弱いとか。磁気によりICが壊れたらパスポートとしての機能は有するが、ICでないと認可されない国では不可なので、再発給申請になるらしい。
 デジカメが落下による故障。しばらく写真は撮れません。

5月23日
 モンテネグロがセルビアから分離独立の見込みらしい。旧ユーゴスラビアは思い出に残る国。1984年11月に、ギリシャから入って、マケドニア-コソボ-モンテネグロ-ボスニア・ヘルツェゴビア-クロアチア-スロベニアと走って、イタリアのリエッカに抜けた。その後国家は解体
、空爆を受けたコソボの民人やボスニア独立戦争で疲弊したサラエボの町、いまはどうなっているのやら。

5月21日
 友人たち4人で天城山登山。富士山以来の人の多さにびっくり。山頂付近は馬酔木がまだ残っていて石楠花が咲きだしたぐらい。ミツバツツジは全盛期です。
 そんなわけで今月は距離が伸びない。

5月15日
 JACCミーティング
 近日中の帰国、出発報告なし。連絡事項で終了しました。
 有志で6月11日に、笹子-御坂-籠坂の3峠を越えようかという話が出ました。参加の予定です。

5月14日
 不覚にもカゼをひき、Giro主催の奥多摩ツーリング欠席

5月7日
 エストニアのサイクリスト夫妻が立ち寄って行きました。北京から韓国経由で下関に上陸、日本を走ってきたとか。
 エストニアといえば93年に開国したばかりのころ走ったっけ。ソ連が崩壊し、バルト3国が自由に行けるようになった直後のころ。ヘルシンキからタリンまでのフェリーに乗り、90年(今は100年)前にここをバルチック艦隊が通過して行ったのかと感慨にふけったものでした。

6日
 今年は珍しくゴールデンウイークが休みに。それで出かけたら、なんなのこの人出は、3日でギブアップし帰路へ。このような休日は仕事するにかぎりますね。
 桐、山藤などのむらさき系の花がめだってきました。トンネルや林のうっそうとした道端にはシャガも開いています。
 熱海-伊豆高原-下田-松崎-旧天城トンネル-沼津-富士川-身延-甲府 318km 特急を使う気にもなれず、ノーマル運賃の飛行機も避けて、各駅輪行可能な近場の走行です。

30日 帰省ついでに銚子まで走ってきました。香取市(旧佐原市)からは千葉県サイドを利根川サイクリングロードで、小見川、笹川と走り、サイクリングロードの終点の椎柴まで。帰りは296号を一直線に。
銚子駅となりの妙福寺の藤はこの連休の最終日あたりがピークになりそう。その他、樹木でははなみずきの花が、利根川の土手にはスイバが一面に広がっています。そしてなんといっても田植えが始まりました。
 この日、185km

27日
 地平線会議:関野吉晴教授の話のためいつもの倍近く集まり、少しばかり混雑ぎみ。サハリンでの報告でした。

22日 ちょっと疲れた房総一周。快晴の空模様に丸一日走りたくなり、勝浦、野島崎、館山、木更津経由と、海岸線づたいに走ってきました。
271km。
桜は散りましたが、八重桜は最盛期、つつじも開いてきました。こぶしも今ごろのはずですが、房総北部はともかく南部では見かけません。庭木ではハナズオウの濃い赤紫色が、道端ではアラセイトウが目立ちます。

16日 JACC関東支部・箱根ランの結果
 9時に鎌倉駅を出て湘南サイクリングロードを走り、国府津から内陸へ。大雄山経由で矢倉沢峠経由の湯本まで。快晴のすがすがしいサイクリングになりました。最後は湯本のカッパの湯で宴会です。
 参加者:高岡、福田、川島、中村、埜口。83km。
 矢倉沢峠、箱根にしては静かな峠でした。


放浪中の写真

リカンカブールアタカマ高原の麗峰リカンカブール、5924m。この村サンペドロ・デ・アタカマから4日がかりの峰だった。チリ。86年5月


ベルデ湖
そのリカンカブールの中腹から眺めたボリビア側の塩湖、ラグーナ・ベルデ。もっとも気に入っている写真のひとつ

アタカマ砂漠
アタカマ高地の登山(リカンカブールとサンペドロ)を終えて、世界的な乾燥地帯、チリ北端のアタカマ砂漠を走る。ここは南米太平洋戦争で負けたペルー・ボリビア連合軍の失地

アンカレッジ
旅立ちの日。初めての海外旅行で、初めて乗った飛行機の降り立ったアラスカのアンカレッジ。まさかこのあと5年10ヶ月もつづく旅になろうとは。23歳の春。81年5月

FH000100.jpg
今世紀最大の悲劇のひとつ、ナチスによるユダヤ・ホロコーストの地。歩くこの森には100万人もの遺骨が散布されている。ポーランド。93年8月

ワスカラン
一見して大雪平原だが、ここにたどり着くまでが大変だった、我が最良の思い出の山、ワスカラン。6768m。相棒は河野、拙書みかん畑に帰りたかったを参照。86年7月10日登頂

ノードカップ
ヨーロッパの北のはずれ、ノードカップ。背後は北極海。3週間も沈まぬ太陽に、気がつけばもはや10時かのオーバーワークの日々だった。だけどひまわりが咲いていたらねじ切れてしまうだろうに。93年7月、ノルウェー

サハラを越えて
サハラを越えた町の宿でスポークの張替え中。しかたないけれどアフリカはパーツ不足です。手前はマンゴ。85年3月、ニジェール

サハラを越えて
野口英世終焉の地となったアクラ(ガーナ)のリッジ病院。一般的にはコルレブ病院説だが:現地人の弟子を枕もとに呼んだが、コルレブは当時黒人の立ち入りを禁止ていたという:状況からこっちらしい。この日もそのときと同じように:遠き落日(渡辺淳一):蝉時雨の激しい昼下がりだった。85年6月

サファリ
アフリカを走っていると突然・・・、そんなことはありません。マサイマラ国立公園で、私はむろん車の中。

レナナ
ケニア山第3峰レナナ、4985m。この4日後に背後のバチアンに登頂するが、北壁をリードしてくれた山田利昭兄は半年後アコンカグア南壁に斃れてしまう

サハラ砂漠
アトラス山脈を越えて、たちまちのうちに乾燥してきた世界に、ちょっと疲れたかな。モロッコ・84年5月

鈴木牧場
ブラジルでは日経移民の方々に、さんざんお世話になりました。同じ茨城県人として東海村出身の鈴木さんの牧場で。中央部馬上が24歳の私。82年・9月

パカヤ火山
グアテマラのパカヤ活火山
 活火山の火口を見るという、あな恐ろしげなツアーに参加。山頂まであと数歩の火口輪で噴火、ツアー客全員が一目散に逃げた。93年10月

イースター・モアイ像
1回目の旅の最後は南米から南太平洋経由オーストラリア行き。その途中でイースター島にストップオーバー。86年9月
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テーマ:プロ野球 - ジャンル:スポーツ

自転車で旅をすること | 19:17:46 | Trackback(1) | Comments(5)
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2006-08-06 日 10:01:53 | | [編集]
はじめまして。
僕は15歳の中学三年生です。
中学を卒業したら淡路島一周の旅を計画しています。
そこで、どのようにしたら親にOKとれるでしょうか。よければ、教えてください。
2007-03-10 土 12:12:50 | URL | 自転車男 [編集]
よろしくお願いします
はじめまして、わたしはとあるきっかけで自転車ツーリングの旅に出会い、その魅力に取りつかれ、あなたの著書に出会い、さらに世界自転車ツーリングに憧れるようになりました。
 あと、1年半ほど資金を貯めて世界ツーリングに出発しようと計画しています。そこで先駆者たるあなたにアドバイスを頂きたくおもいましてメールしたしだいです。海外旅行障害保険ですが、いろいろな保険がありますがどの程度のものが適当なんでしょうか?保障は大きければ大きいほどいいと思いますが、保険料も比例しますし、なるべく抑えたいのですが。保険屋のサイトを見ていると、1年15万~20万円くらいが標準のようですが、最低3年行ったとして、45万~60万円、6年で、90万~120万円ですよね。そうすると資金に対する保険料の割合がかなり高くなりますよね。そのくらいは必要なのでしょうか?ご経験からご意見お聞かせ願いたくぞんじます。
 のぐちさんが初めて海外サイクリングに行かれたときは何をご参考にされてご準備なされていらっしゃったのですか?はじめてやることならば右も左もわからず、至極不安が付きまといます。しかし、その魅力は計り知れないですし、これからの人生の糧としてはこのうえ無いものと強く確信しておりますので着実に準備して参りたいと思っております。つきましては、お忙しいとは存じますが、いろいろとアドバイスいただければ、この上ない幸せと思います。どうぞ宜しくお願いいたします。
2007-12-05 水 22:06:31 | URL | zarathustra [編集]
こんばんは、大阪の精神科で同業の仕事をしている男です。
私は10年前に、健康診断でひっかかり運動を進められました。
数日前に当時幼った娘と大和川を走ってとても気持ちよかったことから、マウンテンバイクを買いました。そしてHow To本として自転車漂流講座を買いました。とても読みやすくすいすい入ってきました。以来自転車の魅力に取り付かれダイエット目的を遥かに超えて、完全にライフスタイルの一部となってしまいました。
どんどん深みにはまり、去年は24時間以内、今年も27時間で大阪~東京まで走るほどに距離感が壊れた男になってしまいました。
自転車を通じていろんな人と知り合えるきっかけにもなり、当時私を自転車の道へ誘ってくれた野口様には感謝の気持ちでいっぱいです。

ps
一度男性の看護師ばかりでセンチョリーランなどができればいいなぁなんて思ってます。これからもよろしくお願いします。
2008-08-02 土 03:01:01 | URL | スターゲイザー [編集]
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このコメントは管理者の承認待ちです
2013-07-20 土 17:07:03 | | [編集]
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看護作家の道!!
看護という職業の傍ら、もしくはそれを生かして本を書いてらっしゃる方って、けっこういらっしゃいますよね。有名なところで、ナースマンの原作者でもある小林光恵さんとか・・・。 でも、男性看護師さんで、本を出してる人って少ないんじゃないでしょうか・・・? 2006-09-07 Thu 11:40:22 | 看護〔士〕でいこう!!        -師業より士業で起業を目指すおっさん看護学生の日誌-

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