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<title>自転車漂流講座</title>
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<description>風のむくまま、気の向くまま、行けるところまで走ってみよう。
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<title>2009年</title>
<description> 11月22日更新 月面到達まで、あと                                                     21974ｋｍ　　　　　　　　　経度に換算すると、ただいま　ボアヴィスタ（ブラジル）　付近を通過中。2009年  1月     734km　　　　　　　今年は計　10680km  2月     465km  3月　   975km  4月     603km  5月　  1521km  6月    1174km  7月    1043km　8月    1013km　9月　　1196km 10月 　1339km 11月     617 km12月第三月曜　たぶ
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<![CDATA[ 11月22日更新</span> <br /><br />月面到達まで、あと                                                     <br /><span style="font-size:x-large;">21974ｋｍ</span><br /><br />　　　　　　　　　経度に換算すると、ただいま<span style="font-size:large;">　ボアヴィスタ（ブラジル）　</span>付近を通過中。<br /><br />2009年<br />  1月     734km　　　　　　　今年は計　10680km<br />  2月     465km<br />  3月　   975km<br />  4月     603km<br />  5月　  1521km<br />  6月    1174km<br />  7月    1043km<br />　8月    1013km<br />　9月　　1196km<br /> 10月 　1339km<br /> 11月     617 km<br /><br />12月第三月曜　たぶん今月のCVJミーティングは中止だと思う。<br />12月25日　地平線会議　　風間シンジの自転車オーストラリア縦断です。高田馬場スポーツセンター。<br /><br />11月21日<br />　地平線30周年記念大会で、丸一日牛込区民館に。<br />　それにしても楽しかった。楽しい気分で3次会まで参加したことがあっただろうか。琉球舞踊というべきかどうか、練習不足でアマワリのキムタカに混じれなかったことが残念。400回大会には参加するぞ。<br /><br />14日<br />　天候不順のためイベント中止。とりあえず現地に行き、参加者が間違って来ていないことを確認して戻る。<br /><br />　8日　帰省　128km<br /><br />7日<br />　前勤務先の自転車部メンバーと柴又へ。<br />　幕張→浦安→葛西→柴又→市川塩浜→幕張のルート、78km。<br />　江戸川沿いのサイクリングロードも、どんどん改善しています。そして柴又はすさまじい人出、でした。<br />　だけど、渥美清の影響って、この地では大きいんですねえ。寅さんシリーズ、水戸黄門も大岡越前も遠山の金さんも、みな同じパターンだけど、どうして日本人は、こういった結果の分かったストーリーが好みなのだろう。　<br /><br />10月31日<br />　このところはまっている利根川水系チェックで、手賀沼サイクリングロードと福田から関宿まで。<br />　ちなみに関宿は、<br />　　利根川河口から121km<br />　　江戸川河口から60km地点です。<br /><br />　で、通勤のおかげで早々に今年は10000kmオーバー。<br /><br />　しっかりと調べたわけではありませんが、千葉県の川の流れがあまりにも不自然なので、てっきりそのむかしは、利根川が江戸川に注ぎ、鬼怒川がいまの利根川で、その間を掘削し、江戸を洪水から防いだのだとばかり思っていましたが、<br />　どうやら現実は、<br />　利根川が中川で、<br />　江戸川だったのは渡良瀬川だったようです。<br />　したがって、３本の河川をつないだのが実際みたい。<br /><br />10月23日<br />　今月もあっさり1000kmオーバー、通勤の600kmは大きい。毎年、四苦八苦して10000kmまで引き上げていたのに、今年は今月中に到達するだろう。ひょっとすると、世界放浪時代以来の12000kmオーバーか。<br /><br />12日<br />　峠のチェックに信州を走ってきました。<br />　<br />大河原峠　2093m<br />　立科白樺YHから蓼科山登山口までは多量のクルマ、以後は静かに上れる峠道。下り佐久方面は、別荘地を下るつまらない道だった。<br /><br /><a href="http://blog-imgs-15.fc2.com/n/o/g/noguchiyasuo/IMG_3971.jpg" target="_blank"><img src="http://blog-imgs-15.fc2.com/n/o/g/noguchiyasuo/IMG_3971.jpg" alt="IMG_3971.jpg" border="0" width="251" height="335" /></a><br /> 大河原峠　紅葉がきれい<br /><br /><a href="http://blog-imgs-15.fc2.com/n/o/g/noguchiyasuo/IMG_3950.jpg" target="_blank"><img src="http://blog-imgs-15.fc2.com/n/o/g/noguchiyasuo/IMG_3950.jpg" alt="IMG_3950.jpg" border="0" width="492" height="369" /></a><br /> こんな風景がつづきます。<br /><br /><br />コマクサ峠　2040ｍ<br />　東御市から地蔵峠へ。直線路の上りがつらいが、九十九折になったら楽。峠からさらに東に向かうとあやめ平を越えて車坂峠へ。そのピークがコマクサ峠で、地蔵峠方面4kmは舗装、車坂峠方面3.5kmはダート。でも固い路面なのでロードでも走れる。<br /><br /><a href="http://blog-imgs-15.fc2.com/n/o/g/noguchiyasuo/IMG_4050.jpg" target="_blank"><img src="http://blog-imgs-15.fc2.com/n/o/g/noguchiyasuo/IMG_4050.jpg" alt="IMG_4050.jpg" border="0" width="335" height="251" /></a><br />　コマクサ峠　地図には載っていないんですねえ<br /><br />これで2000mクラスは<br />　乗鞍畳平<br />　大弛峠<br />　渋峠<br />　麦草峠<br />　富士スバルライン5合目<br />　富士スカイライン新5合目<br />　大河原峠<br />　コマクサ峠<br />　と、完了。<br />　今年中には厳しいけれど、来年こそは、まだ越えられない、<br />　安房、夜叉神、および十年以上も前のため記憶のさびついた、北海道の峠を上ろうともくろんでいます。<br /><br /><a href="http://blog-imgs-15.fc2.com/n/o/g/noguchiyasuo/IMG_4078.jpg" target="_blank"><img src="http://blog-imgs-15.fc2.com/n/o/g/noguchiyasuo/IMG_4078.jpg" alt="IMG_4078.jpg" border="0" width="369" height="492" /></a><br />　またまた新刊を出させてもらいました。<br /><br /><br /><br />　<br />　<br />9月30日<br />　今月は業務過多で疲れた。まるで走れない。それでも1200kmなんだから、通勤の素晴らしさを実感するね。<br />　これで今年の残1248km。10000kmはゆうゆうクリア、12000kmに届きそう。<br /><br />26日<br />　ボランティアで土浦から霞ヶ浦大橋往復。おわって長野に直行、ジロの直江津に途中参加して80km。宿が新潟国体で取れず、夜行で帰る。<br /><br />22日<br />　この大連休、迷惑千万。<br />　どこへ行っても混んでいるだろし、動かないことにしたら寝てばかり。よほど疲れているだな。しかし寝ていたらますます疲れる。こりゃいかんと、ちょっと長距離を走りたくなって房総一巡り。鴨川－保田でショートカットし208km<br /><br />　次作；100kmを目指す人の入門編。かつての「自転車旅行を始めよう」と「自転車野郎養成講座」のあいのこのような内容です。どんなタイトルになるのか分かりませんが、とりあえず脱稿しました。<br />　10月10日ごろのお目見えになるようです。<br /><br />8月29日-30日　100km<br />　乗鞍<br />　大失速の１：25：28。前回はわずか8分で、1分後にスタートした女子に追い越されたけれど、<br />今回は12分まで持ったし、中間点の通過タイムも1分早かったので、これならと思ったが、ラスト5kmで57分、あれ危ないかなと思う間もなく、パンクしていた。中間点からやたら重く感じたのも、その成か。<br />　どうしようか考えたが、このままできたのだからとそのまま走ることにした。後輪が流れるため力が入らなかったが、25分台で入れたからよしとしよう。<br />　しかしパンクに気づいてからというもの、なんと楽だったことか。これなら当面、30分台に落ちることはないだろう。<br /><br />もちろん行きはいつものように薮原駅から自走。同伴の、神定さん、磯田さん、松本さん、現地合流の松橋さん、お疲れさま。　そして乗鞍YHのみなさん、今年もありがとうございました。<br /><br />23日<br />　乗鞍調整目的で100km近在走行。<br />　足は動いていますが、はたして1時間20分を切れるかどうか。50歳代でエントリーすれば良かったのかなあ。<br />　では、乗鞍でお会いしましょう。<br /><br />16日<br />恒例の乗鞍前の2000m峠、今年は海からの富士山新五合目です。<br /><br /><br />10日<br />せっかくの平日休みもすさまじき雨。熱帯低気圧からちょっと成長した台風9号の雨だが、勢力が弱いからと馬鹿にできぬのは、数年前の丹沢湖の悲劇が物語っている。雷まで鳴ってきた。<br />　ところで我がホイールの名前カムシンが、気象用語と知った。スペルがＫＨＡで始まるので、たぶんアラビア語だとは思ったが、地中海を東進する低気圧に吹き込む砂漠からの熱風だという。<br />ちなみに塩野七生の海の都の物語によれば、ベネチアの商人が地中海でたあたりを基点に、各方向からの風を、<br />北　 風　　トラモンターナ・・・トランスマウンテンのことだから、山からの<br />北東風　　グレコ・・・・・・・・・そのもの、ギリシャからの<br />東　　　　　レヴァンテ・・・・・・これまた東のことだ<br />南東　　　 シロッコ・・・・・・・・シリアからの<br />南　　　　　アウストラ・・・・・・南の。オーストラリアの語源にもなっている<br />南西　　 　リベッチオ・・・・・・リグリアからの<br />西　　　　　ポネンテ・・・・・・・ポネがSetのことだから、日の沈む<br />北西　　 　マエストラーレ・・・主人（=国民）ということで、ローマからのということか<br />と呼んでいたらしい。<br />日本ならさしずめ、シベリア風とか台湾風とかいうことになるのかも。中学の地理で習ったのが、ボラ（北東）とシロッコだから、この中でもシロッコが厳しいのだろう。<br />いま、地球を旅するの次作で、サイクリングの壁になる風について調べていたところ。<br /><br /><br />9日　帰省　116ｋｍ。<br />　乗鞍に備えて・・・、何もしていない。<br />　どうなんだろ、今年は。<br /><br />1日<br />　7月はたいして走っていないのに1000kmオーバーになった。通勤のおかげか。<br /><br />7月22日<br />今日は皆既日食について。<br />人事異動がなかったら、今ごろ四川省かインドで皆既日食を見ていたのかと思うと、今回の人事異動が恨めしい。気象条件を考えれば、中国かインドを走っていたはずだ。でも毎年あるから、次の機会を楽しみに。<br />　過去の最大食はモロッコでの金環食の90％。あのときは世界一周中で、見られると知って金環食帯まで足を延ばしたが、なぜか軍隊がしゃしゃり出て町を追い出され、その郊外で90％部分食に甘んじたっけ。<br />　天文少年は、今後も天体イベントを楽しみに、世界を走り続けます。<br /><br />19日<br />帰省：129km　向かい風に閉口した。<br />新幹線八戸駅で買ってきた黄金漬が実家で大好評でした。お勧めのお土産です。<br /><br />　とこでトムラウシ再び。<br />　驚いたことにガイドの二人は初めてのルートだったらしい。<br />　東海村の放射線漏れのとき、ウラン溶解液をバケツで運んでいた事実に、どんなに優秀な推理作家でも考え付かない荒業と評価されたが、こちらも似たようなものだ。このケースでは、その4人のガイドのうち、誰がリーダーシップを取っていたかが今後のテーマになってくる。生き残った3人は、たぶんガイドのサポートだと思うが。<br />　アンデスのトクリャリャフをサポートしたとき、私たち3人は、日本からツアーについてきたガイドのサポート役に徹した。あのときルートを知っていたのは、いっしょに雇われた高橋のみ。それでも客6人のうち3人が登れたのは、安定した天候と、脱落者を回収するシステムをあらかじめ講じておいたからだ。<br />　そして遭難を引き起こす最大の要因たる、帰りの飛行機便フィックスが、ここでも大きなウエイトを占めてくる。60代が中心なのだから、仕事に終われていたわけでもないだろうに。それだけに、どうしてあそこで停滞の判断ができなかったのかが不思議だ。全員の飛行機代をあわせたって、50万円もしないだろうに。<br />　酷なようだが、世間を納得させる唯一の結果は、ガイドのうちの最年長者も犠牲者になっていたことだ。山での行動はあくまでも自己責任だという人もいるが、それは集団心理を知らない人のたわごとだ。<br />今回の遭難は、山で集団を率いるのがいかに難しいかを考えさせられる遭難でもあった。<br /><br />」「17日<br /> トムラウシの遭難。夏山では国内最悪らしいが（木曽駒の小学生遭難が大正年間にあったけど）、ありゃあ、誰が見てもガイドに問題があったな。天気図も読めず、おそらく現地にも数回しか行ったことのない自称山男が、単に登山の経験だけを買われて雇われたのだろう。雇った方も問題だが、誰だって躊躇するはずの状況で突っ込んだのでは、ガイドの質が問われる。<br />　しかし６０代の集団が北海道の２０００m峰縦走とは恐ろしい。急病という発想はなかったのだろうか。ひとり倒れると運ぶのに１０人ぐらい必要になるというのに。昨今の登山状況は、何度か遭難直前に追い込まれているだけに考えてしまうのです。<br /><br />１１-１２日<br />　盛岡－八幡平－大館－発荷峠－十和田湖－迷ヶ平－八戸<br />　220km<br /><br />　20年ぶりの八幡平－十和田湖を走ってきました。仙台にいたころは毎年十和田湖を走っていたので、今回で5回目。そして今回も晴れてくれました。<br />　盛岡まで輪行、20年前にはなかった南側の温泉街を通過しながら藤七温泉経由で見返り峠。1時間ほど散歩して大館まで下り、友人宅宿泊。１２０km。<br />　峠を登りに来たので、十和田湖まで送ろうとする友人の誘いをけって中湯で下ろしてもらい、発荷峠へ。２０年前は１２月だったので、雪で閉鎖される直前の誰もいない発荷峠だったけど、今回はいっぱいいた、<br />　下って十和田湖湖畔、そしてまたしても見返りという名の峠を越えて迷ケ平。ここも峠なのだろうが、高原状の台地で分水嶺が同定できないような平坦さ。その穏やかさを利用して牧場が広がっていた。<br />　その突端は南部地方が一望にできるコル。ここから一気の下りで、１７時八戸着。１００km。<br /><br /><a href="http://blog-imgs-24.fc2.com/n/o/g/noguchiyasuo/2009071320453677a.jpg" target="_blank"><img src="http://blog-imgs-24.fc2.com/n/o/g/noguchiyasuo/2009071320453677as.jpg" alt="八幡平 (2)" border="0" width="150" height="112" /></a><br />東北では、蔵王、浄土が原とならぶすばらしい峠。ゴールデンウイークの雪の壁は見事のひとこと。<br /><br /><a href="http://blog-imgs-24.fc2.com/n/o/g/noguchiyasuo/2009071320460183f.jpg" target="_blank"><img src="http://blog-imgs-24.fc2.com/n/o/g/noguchiyasuo/2009071320460183fs.jpg" alt="発荷峠" border="0" width="150" height="112" /></a><br />　雪の発荷峠もオツだけど、のんびり登れるほうがいいか。眼下の十和田湖のすばらしさ。<br /><br /><a href="http://blog-imgs-24.fc2.com/n/o/g/noguchiyasuo/200907132046254ce.jpg" target="_blank"><img src="http://blog-imgs-24.fc2.com/n/o/g/noguchiyasuo/200907132046254ces.jpg" alt="十和田湖" border="0" width="112" height="150" /></a><br />よほど西風が強いのだろう、まともに枝を張れぬ湖畔の樹木<br /><br /><a href="http://blog-imgs-24.fc2.com/n/o/g/noguchiyasuo/20090713210115f5d.jpg" target="_blank"><img src="http://blog-imgs-24.fc2.com/n/o/g/noguchiyasuo/20090713210115f5ds.jpg" alt="ぶな" border="0" width="150" height="112" /></a><br />北東北といえばぶな。ぶな林の中をのんびり走っていくと・・・<br /><br /><br />6月30日<br />　半年が過ぎ、今年は10000kmまで残り4500km。通勤で月600kmということは、それだけで3600kmで、これに2ヶ月で3回ペースの帰省のペースだから、それだけで到達してしまう。今年は悠々の10000kmになりそう。<br />　悲しいことにボーナスは前年比－15万円です。もらえるだけでもいいか。<br /><br />28日<br />　今年のスイカマラソンは締め切りが早くて我が旧職場は壊滅。それでもバーベキューだけはやりました。<br /><br />27日<br />帰省。118km。<br />　<br />21日<br />　久々に走行ゼロの日。すでに今月も800kmオーバー。通勤があと7日あるから、それだけで200kmは越えるので、今月も1000kmは堅い。走りすぎかなあ。<br />　<br />15日<br />　新刊が出ました。自転車で地球を旅するというタイトルで、ラピュータが出してくれました。<br /><a href="http://blog-imgs-24.fc2.com/n/o/g/noguchiyasuo/200906232058254b7.jpg" target="_blank"><img src="http://blog-imgs-24.fc2.com/n/o/g/noguchiyasuo/200906232058254b7.jpg" alt="img_3167 (2) (2)" border="0" width="251" height="335" /></a><br /><br />　なおラピュータでは次作も考えているようです。拡大する一方の自転車愛好家のために、かつて書いた自転車旅行を始めようを現代版にアレンジしたものを頼まれています。なるべく早く書いて、近いうちにお眼にかけたいと思います。<br /><br /><br /><br /> ]]>
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<dc:date>2009-01-29T19:45:06+09:00</dc:date>
<dc:creator>ビシクレッタ</dc:creator>
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<title>のぐちやすお</title>
<description> 2006年大晦日　10000kmに-63kmのため小田原からのYH青い風アプローチ。ところが宿を目前に1.5km足りず、800m通過してからUターンして無理やり10000kmに載せた。12月30日　久々の房総一周233ｋｍコース、これでどうにか滑り込めるか。明日63kmをクリアすればいいだけだし、天気も上々らしいし。だけど冬場の200kmオーバーは疲れる。　安房地方で水仙が咲き出しました。去年は雪、一昨年は正月満開だったため、日程を合わせるのが難
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<![CDATA[ 2006年<br /><br />大晦日<br />　10000kmに-63kmのため小田原からのYH青い風アプローチ。ところが宿を目前に1.5km足りず、800m通過してからUターンして無理やり10000kmに載せた。<br /><br />12月30日　久々の房総一周233ｋｍコース、これでどうにか滑り込めるか。明日63kmをクリアすればいいだけだし、天気も上々らしいし。だけど冬場の200kmオーバーは疲れる。<br />　安房地方で水仙が咲き出しました。去年は雪、一昨年は正月満開だったため、日程を合わせるのが難しいかもしれませんが、保田の水仙祭りはお勧めです。<br /><br />28日<br />　とにかく走るしかない。本日、茂原街道入口ピストン。43ｋｍ。<br />　<br />27日　ブログ開設一周年のアクセスは4700件でした。のべ4700人の皆様、閲覧ありがとうございました。今後もサイクリングのできごとをつれづれに綴って行きます。<br /><br />忘れ物のヘルメットを回収しに早稲田まで。勤務後に82ｋｍもかせげたのだから、たまには忘れ物もいいのかも。<br /><br />25日　距離稼ぎに少しずつ走っています<br /><br />24日<br />　今回の地平線会議に出席したら・・・、このブログの閲覧者、けっこういるのですね。反響の大きさに驚きました。<br />　その中でひとりから、医療従事者の喫煙について問われました。<br />　個人情報の問題が発生しやすいので、仕事のことは書かないようにしていますが・・・、これぐらいはいいでしょう。<br />　とにかく医療従事者の喫煙状況はひどいものです。某組織の調査によれば、看護師の喫煙率は平均の倍だとか。業務上のストレスが大きいから、とか理由付けしていますが、そんなの理由になるの？　時として息を止めて通過せざるを得ない空間が存在するほどです。<br /><br />　23日に九十九里周遊ルートを走り、そのまま地平線会議へ。10000kmギブアップ宣言したら、そこをどうするかが専門家でしょ、とか言われてしまった。あと10日で残り700ｋｍなんだけれど。<br />　23日　145ｋｍ<br />　24日　ウグイスライン－茂原－大網街道で97km<br /><br />18日　どうやらギブアップ宣言か。今年は10000kmが遠い、700kmを残して休みは4日のみ。この2ヶ月の論文対策が響いたか。その論文も本日提出したので、いくらか肩の荷が軽くはなったけれど、喜べるのは通ってからの話。もっとも通らなかったところで、来年もう一年学生をやるだけの話。通ってほしけれど、まだ学生でいたいような気もする今日この頃。<br /><br />　9・10日：帰省　120ｋｍ<br /><br />　3日：近郊周遊で90km。<br /><br />12月2日<br />　もうしばらくお許しください、12月20日の修士論文提出期限まで、メンテナンスがしにくい環境なので。<br />　12月2日現在で、残りはちょうど1000kmです。あと30日でクリアすべく走るつもりですが、当面は論文対策に追われます。<br />　なお親不知は、二週間を経てやっと落ち着きました。<br />　<br />11月23日<br />　ブログを3週間もほったらかしにしてしまいました。視聴者のみなさん、申し訳ありません。<br />　①修士論文に追われています。締め切りが12月下旬なのです。コンピュータにらめっこの日々で眼が痛い。<br />　②抜いた親不知がまだうづき、集中力に欠け仕事もいまひとつの状態。<br />　そんな日々がつづきました。JACCの会合も、同代表竹沢氏の誕生日記念ランも欠席の有様です。1カ月であと1158kmのノルマ、届くのかしら。<br /><br />11月19日<br />　ちょっとした用事で立川まで77km走る。けれども前日抜いた親不知が効いて熱っぽい。往復するつもりも帰りは西武線、JRで輪行。帰ったら37.3度の熱。<br /><br />11月12<br />　帰省で日帰り116ｋｍ<br /><br />11月3-4<br />　仕事がらみで水戸周辺を280kmをほど走行。このところの町村合併で昔の知識が役に立たない。坂東市から東に走ると現われる、進行方向つくば・つくばみらいという道路標識が、ひらがなだらけで読みにくい。合併のため町村境が減って、現在地の把握も分かりにくい。小美玉市とか城里市とかのネーミングも、なんとかならなかったのかしら。<br />　来春熱気球で太平洋横断に挑む、神田・安東両氏の手伝いに、熱気球製造工場へ（埼玉県吉川市のヤオ工業）。型紙から裁断する作業をじゃましたような手伝ったような二時間は、いやはや、地道な作業だった。<br /><br />10月31日<br />　千葉市内をちょっとポタリング。これで残り2カ月を840km平均で10000kmクリア。さあ、行けるか。<br /><br />10月28-29日<br />　仕事がらみの研修会で一泊。自転車で往復、周辺寄り道で179ｋｍ。研修会にはレーサージャージで登場してインパクトを与えてみたが、3次会では充満するタバコの煙にものの5分で撃退された。<br />　だけど医療従事者って、どうしてタバコ好きなのだろう。信じがたい健康感覚だ。<br /><br />10月27日<br />　地平線会議。モンゴルについて。旧外務省の人の話で、モンゴルの市場経済化は、ソ連崩壊によるものではなく、独自の研究の結果によるものだと知った。<br /><br />10月21-22<br />　帰省：ノーマルコースなので130ｋｍほど<br /><br />10月13-16：神戸出張で走れず<br /><br />10月9日<br />　7日<br />　富士スピードウエイ、150kmサイクルマラソン惨敗。脱水症状を起こし２９周目は4.5kmに15分を要した。ここで補給し復活、33周目、つまり最終周回は8分台まで盛り返したが、ときすでに遅し5時間45分。4時間半は切れるだろうの目測も、これじゃあツーリングよりも遅い。<br />　来年、再チャレンジ。<br />　レース終わって三島に下り：このときの足の方がレースより走った：輪行、伊東へ移動しYH青い風へ。<br />　8日、青い風から熱海、小田原、山北経由でJACCキャンプ丹沢湖まで。<br />　9日、JACCメンバーと小田原、湘南サイクリングロード、鎌倉まで。<br />　3日間で420km走り、帰宅入浴後に体脂肪計ったら6.1％だって。<br /><br /><br />10月1日<br />　10月、残り３ヶ月でノルマに到達できるか。平均850kmでクリア、が、14、15の出張が痛い10月。<br /><br />　放送大学の修士論文中間発表、どうにか順調経過の評価をいただきました。12月下旬の締め切りまでに書き上げ、１月上旬の面接で決まります。<br /><br />9月30日　JACCランで江戸川サイクリングロードを関宿城まで往復。ちょっとしたハプニングからひとりリタイヤ。晴天の格好のサイクリング日和<br /><br />9月23日・24日　帰省<br /><br />9月14日<br />　ソウル－義政府－東豆川－漣川－臨津江沿い－&#27766;山　158ｋｍ<br />　14日　臨津川周辺ポタリング／ソウル市内ポタリング　43ｋｍ<br />　15日　ソウル－金浦－仁川－永宗島　108ｋｍ<br /><br />　生涯のテーマ、世界一周細切れ編、ことしは韓国を走りＤＭＺ（非武装地帯）から北朝鮮のケソン市を遠望してきました。<br />　しかし休みの都合とチケット申し込みのもたつきから、韓国を実質3日しか走れなかったので、とても形にはできませんでした。これで韓国本土は2回目ですが、京畿道、忠清南道しか走れておらず、いずれまた走らざるをえない状況です。<br />　詳しくはもうしばらくおまちください。<br /><br />9月9日<br />　かねてからの懸案だった大弛峠が、JACC仲間の協力で突破できました。これで日本の2000ｍ峠完了です。<br />　塩山からのルート状況<br />塩平まで　：谷間の集落を行く、階段的に急勾配の道。厳しいルート。<br />焼山峠　　：いきなり細い山道で勾配もつらい。不思議なほど。<br />大弛峠前半：こんなのでいいのかというほどなだらかな道が残8ｋｍまで<br />　　　後半：峠なりの勾配が始まる。高度ゆえに雲がかかりやすく寒い<br />長野側　　：ロードでは辛いダートが9.3ｋｍ、谷川を渡るまで<br />　　　　　　小川山の岩壁が美しい。<br />　　　　　：峠まで塩山から37km、信濃川上駅から30km。<br />　けっこう楽しめる峠だったので、今後も乗鞍レースの準備運動に利用したいと考えています。<br />　なお国内の2000ｍ台峠は<br />　乗鞍畳平　　　　　　　　　2700ｍ<br />　富士山新五合目（静岡側）　2400ｍ<br />　富士山五合目　（山梨側）　2305ｍ<br />　渋峠　　　　　　　　　　　2172ｍ<br />　麦草峠　　　　　　　　　　2127ｍ<br />などです。：北沢峠は一般人の立ち入りを禁止。<br /><br />9月3日<br />　帰省：143ｋｍ<br />　利根川に新たにかかった若草大橋有料道路を渡ってきました。408号と、利根・印西との間にかかったばかりの橋です。自転車20円、川下側にきれいな自転車道あり。<br /><br />　世界一周第三ラウンドを分かりやすく報告するために、整理すべくまとめています。追って報告します。<br /><br />ゴール直後に息が落ち着いて。悔しい22分台は調整の失敗か年齢によるものか、答えは来年待ち<br /><br />レース後はいつものように周辺探索。今年はもう一度畳平を越えて、飛騨を走る<br />　8月27日　乗鞍ヒルクライム・今年もチャンピオンクラスで参戦、最下位は避けたけれど、ついにチャンピオンクラス陥落か。1時間22分、2分のオーバー。申請してみるけれど。<br />　敗因は直前のオーバーワークに尽きた。前日から足のはりがひどく、当日は中間点よりかつて経験のない痙攣に襲われた。中間点からペースアップを図ればピク足に、だましだましの走行。少しでもペースアップ図れば痙攣し、ラスト5kmは5分ペースが精一杯、心肺も頭もなんともないのに、足だけが悔しいリタイア。<br />　もっとも来年そこをうまく調整したとして、それでも1時間20分切れなかったら、本当に年齢によるものなのかもしれない。でも来年は必ず20分きる。<br /><br />26日：いつものように前日は薮原から境峠、白樺峠越えでアクセス。48km。<br />27日：レースです。往復とYH間で44km。<br />28日：もう一度登って、乗鞍岳にも登ってから一気のダウンヒル。丹生川から飛騨古川ユースに一泊。85km。<br />29日：白川郷に行こうとしたら天生峠が閉鎖であきらめ、別ルート（楢峠）から富山行きを考えたが、こちらも通行止めで、残ったのは宮川沿いと41号のみ。これでは物足りず、41号を引き返して名古屋まで走った。226km。　<span style=font-size:small><br /><br />25日<br />　乗鞍ヒルクライムに向けて、新宿発8時のあずさで塩尻経由薮原まで輪行、のち50ｋｍ走って、乗鞍高原まで行きます。<br />　<br />　自転車から離れるけれど、もうひとつのテーマ、在学中の修士課程の論文下書きを担当教授に提出しました。どのような評価が得られるでしょうか。<br /><br />20日　乗鞍準備で駿河湾から富士新5合目まで。57kmしかないんだけれどどうしても5時間かかってしまう。御殿場までは1時間そこそこだから、その先の30kmに4時間以上かかっている計算になる。これじゃ乗鞍、あやういなあ。<br /><br />13日<br />帰省＋霞ヶ浦一周　暑さにめげてペースダウン。歳とともに脱水に罹りやすくなっているみたい。この程度で、と思いつつも歳相応の行動を。<br />12日＝78ｋｍ<br />13日＝152ｋｍ<br /><br />5日<br />　富士山に登るつもりも人数集まらず日光男体山に変更。昨年悪天候に阻まれた山への再起。山頂からの中禅寺湖、尾瀬連山、南会津の山々が雄大でした。<br /><br />29日<br />　千葉－直江津　ワンデイラン　大幅に遅れて23：12着　詳細は追って書き込みます。翌30日は医療活動を行った中越地震の被災地に寄って、越後湯沢から帰着。346ｋｍ+166ｋｍ＝512ｋｍ。<br />　印象。<br />　同行した二人。俺と一回りもちがうのに、年寄りに引かせるな。下りで千切れんじゃねえ。<br /><br />23日<br />　GIROさんの直江津ランが来週に迫ってきました。訪ねると相談にやってくる人でごったがえしていました。<br />　今年はいまのところ、最高齢62歳、女性2名を含む33名が出走予定。それでも行くというのだから、全国のサイクリストの皆さん、女だから、歳だから、は理由になりませんよ。<br />　コースは、メインの渋越えルートのほか、ノーマルの碓氷妙高組、三国十日町の3パターンです。<br />　帰省・123km。<br /><br />　22日<br />　JACC定期ラン　高尾－大垂水峠－雛鶴峠－大月　59km。7人参加。JACCというとつわものどもの集まりと思われがちですが、このようなポタリングルートも計画して走っています。<br />　本日のヤマ場は旧雛鶴峠越ですかね。<br /><br />16日<br />　九十九里周回ルート。海辺の込む季節になりました。<br /><br />15日<br />　いまこのブログを書いている私の部屋は<font color=\"#FF3366\">32℃</font>です。昨夜は最低気温が30℃を下回らない熱帯夜のワンランク上の宵で、今日は1時間おきにベランダに打ち水して気温低下に努めています。<br />　だけどこれぐらい、アフリカじゃかわいいものだったけれどなあ。朝から38℃なんて中を走っていたし、<font color=\"#FF0066\">51℃</font>(ニジェール）まで上がった日もあった。45℃を越えて当たり前の日々が懐かしい。それが37℃（昨日の日本最高気温：お隣りの市原市）でも暑いと思うようじゃ、日本の生活も長くなったのかしら。<br />　走ろうかと思ったけれど、この気温じゃ今日も止め。<br /><br />　ジロさんの走行キャンペーン。<br />　3000kmの方は未登録のためエントリー25人は、1530ｋｍから240ｋｍに収まり、うちオーバー1000ｋｍは6人でした。<br />　本日直江津360kmの説明会があるというので出席予定<br /><br />13日<br />　なんと、仕事で自転車に乗る羽目に。海っぺりをままちゃり5kmピストンです。<br /><br />9日<br />ちょっとしたヤボ用事で熊谷を往復、１８３ｋｍ。江戸川サイクリングロードを利用すると、意外と車を避けられます。<br /><br />4日<br />　GIROさんから、6月自主走行キャンペーンで3000km走った人がいるとか。そういや19歳のときの最初の長距離サイクリングじゃ、37日間で4500ｋｍ走ったっけ。<br /><br />2日　実家往復・125ｋｍ<br />　　スイカマラソンの記録：56分16でした<br /><br />7月1日<br />　地平線番外編で翌日もみんな集まった。<br /><br />6月30日<br />　地平線会議に自転車ででかけて、今月は辛くも1000ｋｍをクリア。ジロさんの月間走行は、1031．4km で申請。<br />　<br /> しかし半年での5000ｋｍはクリアできず、乗鞍のチャンピオンクラスが怪しくなってきたかも。<br />　地平線会議：田中幹也君の報告でしたが、着いたときは終わっていました。<br /><br />25日<br />　ブログ開設半年が過ぎました。閲覧してくださっている方々、ありがとうございました。半年で2400件は予想以上の反響です。<br />　今後も、7月には直江津360ｋｍ、乗鞍ヒルクライム、富士スピードウエイ100kmタイムトライアル、年に一本の海外サイクリングなど、結果を報告していきます。<br />　<br />　富里スイカマラソン。10.6ｋｍ。<br />　まったくの練習なしに60分台の見積りも55分台で走れました。スタートラインまで届くのに2分以上かかっているので、正味53分といったところですかね。でもスイカはいつも暑い。<br />　片道と宴会会場まで自転車でいったので、今月は1000kmに届きそう。<br /><br />24日<br />　千葉市内ポタリング。雨のはずが晴れたので、姉ヶ崎周回コースを散歩。<br /><br />20日、21日<br />　あまりにも走れない6月に業を煮やし、仕事が終わってから走った。20日ポタリング千葉40ｋｍ、21日姉ヶ崎ピストン64ｋｍ。せめて月間1000ｋｍは維持したい。<br /><br />19日<br />　JACCミーティング。<br />　USAをほぼ横断した佐々山さんの報告と、シリア、ヨルダンを走ってきた木下さんの報告でした。<br /><br />17日<br />　千葉県最南端、野島崎まで走る。そのままUターンしての200ｋｍプランも、雨と日没に阻まれ富浦からの輪行に。１４０ｋｍ。<br /><br />11日<br />　JACC有志による甲州走行も、思わぬ驟雨のため笹子峠のみで終了、わずか17ｋｍのクラブラン。<br />　後輩の松橋さんのデビュー走行は、散々な結果になってしいましたが、めげずに走ってください。<br /><br />　10日　帰省　114ｋｍ<br /><br />　3日<br />　植村直己賞受賞者の面々が集合する兵庫県豊岡市（旧日高町）の大会参加。<br />　貧乏性のため、米原までを新幹線、以後、琵琶湖北岸を周回し今津から小浜に抜けて日本海岸を舞鶴、宮津と走り、但東から日高へ。<br />　到着し駅前のビジネスホテルから地平線会議のメンバーに連絡したらすぐ来いと。<br />　220ｋｍクリアし、風呂に入ってから来いといわれても、の躊躇も無視する命令に向うべき先は峠のリゾートホテル。この１３ｋｍの長かったこと。しかしアウトドアー世界のそうそうたるメンバーの集まる集会はすごかった。でも疲れた２３６ｋｍ。<br />　4日<br />　午前中はイベントに参加して正午にスタート、養父、福知山、丹波、京都と走っての輪行１７１ｋｍ。昨夜の宴会に、9号線ごときの峠がしんどかった。<br />　それでも予定通り19時に京都に着き、二日で４１０ｋｍをクリア、ちょっとオーバーワークだったかしら。<br /><br />  カメラ故障中のため写真なし<br /><br />6月1日<br />　5月の走行たるや無残な結果に終わった。こんなに走れなかった5月も珍しい。天候不順が響いた。この調子じゃ7年連続の年間走行10000ｋｍ達成が危ぶまれる。<br />　お世話になっているサイクルハウスGIROが今月も月間走行キャンペーンを行うという。6月は走りたいもの。<br />　自転車の距離メーターは、6月1日朝現在で6414kmから始まります。<br />　デジカメが転落から故障でドッグ入り。芳しくないので6月のボーナスで新調予定<br /><br />5月28日<br />　この週末もヤボ用で満足に動けず、このままでは6月中に5,000ｋｍ走れるのかしら。乗鞍も近いというのに、足が出来上がらない。<br /><br />5月25日<br />　やっとパスポートが手にはいった。<br />　IC化に伴い、きわどいところで切り替え日に間に合わず、いったん失効させてから再申請という面倒くさい手続きを済ませてこのたび取得。パスポートのない生活はひやひやもの。<br />　50ページの厚さになり、中央に分厚いプラスチック様の紙面。これにICチップが内蔵されているという。なお磁気メディアごとく磁力に弱いとか。磁気によりICが壊れたらパスポートとしての機能は有するが、ICでないと認可されない国では不可なので、再発給申請になるらしい。<br />　デジカメが落下による故障。しばらく写真は撮れません。<br /><br />5月23日<br />　モンテネグロがセルビアから分離独立の見込みらしい。旧ユーゴスラビアは思い出に残る国。1984年11月に、ギリシャから入って、マケドニア－コソボ－モンテネグロ－ボスニア・ヘルツェゴビア－クロアチア－スロベニアと走って、イタリアのリエッカに抜けた。その後国家は解体<br />、空爆を受けたコソボの民人やボスニア独立戦争で疲弊したサラエボの町、いまはどうなっているのやら。<br /><br />5月21日<br />　友人たち4人で天城山登山。富士山以来の人の多さにびっくり。山頂付近は馬酔木がまだ残っていて石楠花が咲きだしたぐらい。ミツバツツジは全盛期です。<br />　そんなわけで今月は距離が伸びない。<br /><br />5月15日<br />　JACCミーティング<br />　近日中の帰国、出発報告なし。連絡事項で終了しました。<br />　有志で6月11日に、笹子－御坂－籠坂の3峠を越えようかという話が出ました。参加の予定です。<br /><br />5月14日<br />　不覚にもカゼをひき、Giro主催の奥多摩ツーリング欠席<br /><br />5月7日<br />　エストニアのサイクリスト夫妻が立ち寄って行きました。北京から韓国経由で下関に上陸、日本を走ってきたとか。<br />　エストニアといえば９３年に開国したばかりのころ走ったっけ。ソ連が崩壊し、バルト３国が自由に行けるようになった直後のころ。ヘルシンキからタリンまでのフェリーに乗り、９０年（今は１００年）前にここをバルチック艦隊が通過して行ったのかと感慨にふけったものでした。<br /><br />6日<br />　今年は珍しくゴールデンウイークが休みに。それで出かけたら、なんなのこの人出は、３日でギブアップし帰路へ。このような休日は仕事するにかぎりますね。<br />　桐、山藤などのむらさき系の花がめだってきました。トンネルや林のうっそうとした道端にはシャガも開いています。<br />　熱海－伊豆高原－下田－松崎－旧天城トンネル－沼津－富士川－身延－甲府　318ｋｍ　特急を使う気にもなれず、ノーマル運賃の飛行機も避けて、各駅輪行可能な近場の走行です。<br /><br />30日　帰省ついでに銚子まで走ってきました。香取市（旧佐原市）からは千葉県サイドを利根川サイクリングロードで、小見川、笹川と走り、サイクリングロードの終点の椎柴まで。帰りは２９６号を一直線に。<br />銚子駅となりの妙福寺の藤はこの連休の最終日あたりがピークになりそう。その他、樹木でははなみずきの花が、利根川の土手にはスイバが一面に広がっています。そしてなんといっても田植えが始まりました。<br />　この日、１８５ｋｍ<br /><br />27日<br />　地平線会議：関野吉晴教授の話のためいつもの倍近く集まり、少しばかり混雑ぎみ。サハリンでの報告でした。<br /><br />22日　ちょっと疲れた房総一周。快晴の空模様に丸一日走りたくなり、勝浦、野島崎、館山、木更津経由と、海岸線づたいに走ってきました。<br />271ｋｍ。<br />桜は散りましたが、八重桜は最盛期、つつじも開いてきました。こぶしも今ごろのはずですが、房総北部はともかく南部では見かけません。庭木ではハナズオウの濃い赤紫色が、道端ではアラセイトウが目立ちます。<br /><br />16日  JACC関東支部・箱根ランの結果<br />　9時に鎌倉駅を出て湘南サイクリングロードを走り、国府津から内陸へ。大雄山経由で矢倉沢峠経由の湯本まで。快晴のすがすがしいサイクリングになりました。最後は湯本のカッパの湯で宴会です。<br />　参加者：高岡、福田、川島、中村、埜口。83ｋｍ。<br />　矢倉沢峠、箱根にしては静かな峠でした。</span><br /><br /><span style=font-size:x-large>放浪中の写真</span><br /><br /><a href="http://blog-imgs-26.fc2.com/n/o/g/noguchiyasuo/20060502221617.jpg" target="_blank"><img src="http://blog-imgs-26.fc2.com/n/o/g/noguchiyasuo/20060502221617s.jpg" alt="リカンカブール" border="0" /></a>アタカマ高原の麗峰リカンカブール、5924ｍ。この村サンペドロ・デ・アタカマから４日がかりの峰だった。チリ。８６年５月</span><br /><br /><br /><a href="http://blog-imgs-26.fc2.com/n/o/g/noguchiyasuo/20060502221601.jpg" target="_blank"><img src="http://blog-imgs-26.fc2.com/n/o/g/noguchiyasuo/20060502221601s.jpg" alt="ベルデ湖" border="0" /></a><br />そのリカンカブールの中腹から眺めたボリビア側の塩湖、ラグーナ・ベルデ。もっとも気に入っている写真のひとつ</span><br /><br /><a href="http://blog-imgs-26.fc2.com/n/o/g/noguchiyasuo/20060502221545.jpg" target="_blank"><img src="http://blog-imgs-26.fc2.com/n/o/g/noguchiyasuo/20060502221545s.jpg" alt="アタカマ砂漠" border="0" /></a><br />アタカマ高地の登山（リカンカブールとサンペドロ）を終えて、世界的な乾燥地帯、チリ北端のアタカマ砂漠を走る。ここは南米太平洋戦争で負けたペルー・ボリビア連合軍の失地</span><br /><br /><a href="http://blog-imgs-26.fc2.com/n/o/g/noguchiyasuo/FH000141.jpg" target="_blank"><img src="http://blog-imgs-26.fc2.com/n/o/g/noguchiyasuo/FH000141s.jpg" alt="アンカレッジ" border="0" /></a><br />旅立ちの日。初めての海外旅行で、初めて乗った飛行機の降り立ったアラスカのアンカレッジ。まさかこのあと５年１０ヶ月もつづく旅になろうとは。２３歳の春。８１年５月</span><br /><br /><a href="http://blog-imgs-26.fc2.com/n/o/g/noguchiyasuo/FH000100.jpg" target="_blank"><img src="http://blog-imgs-26.fc2.com/n/o/g/noguchiyasuo/FH000100s.jpg" alt="FH000100.jpg" border="0" /></a><br />今世紀最大の悲劇のひとつ、ナチスによるユダヤ・ホロコーストの地。歩くこの森には１００万人もの遺骨が散布されている。ポーランド。９３年８月</span><br /><br /><a href="http://blog-imgs-26.fc2.com/n/o/g/noguchiyasuo/FH000136.jpg" target="_blank"><img src="http://blog-imgs-26.fc2.com/n/o/g/noguchiyasuo/FH000136s.jpg" alt="ワスカラン" border="0" /></a><br />一見して大雪平原だが、ここにたどり着くまでが大変だった、我が最良の思い出の山、ワスカラン。６７６８ｍ。相棒は河野、拙書<font color=\"#FF0066\">みかん畑に帰りたかった</font>を参照。８６年７月１０日登頂</span><br /><br /><a href="http://blog-imgs-26.fc2.com/n/o/g/noguchiyasuo/FH000122.jpg" target="_blank"><img src="http://blog-imgs-26.fc2.com/n/o/g/noguchiyasuo/FH000122s.jpg" alt="ノードカップ" border="0" /></a><br />ヨーロッパの北のはずれ、ノードカップ。背後は北極海。３週間も沈まぬ太陽に、気がつけばもはや１０時かのオーバーワークの日々だった。だけどひまわりが咲いていたらねじ切れてしまうだろうに。９３年７月、ノルウェー</span><br /><br /><a href="http://blog-imgs-26.fc2.com/n/o/g/noguchiyasuo/FH000028.jpg" target="_blank"><img src="http://blog-imgs-26.fc2.com/n/o/g/noguchiyasuo/FH000028s.jpg" alt="サハラを越えて" border="0" /></a><br />サハラを越えた町の宿でスポークの張替え中。しかたないけれどアフリカはパーツ不足です。手前はマンゴ。８５年３月、ニジェール</span><br /><br /><a href="http://blog-imgs-26.fc2.com/n/o/g/noguchiyasuo/FH000022.jpg" target="_blank"><img src="http://blog-imgs-26.fc2.com/n/o/g/noguchiyasuo/FH000022s.jpg" alt="サハラを越えて" border="0" /></a><br />野口英世終焉の地となったアクラ（ガーナ）のリッジ病院。一般的にはコルレブ病院説だが：現地人の弟子を枕もとに呼んだが、コルレブは当時黒人の立ち入りを禁止ていたという：状況からこっちらしい。この日もそのときと同じように：遠き落日（渡辺淳一）：蝉時雨の激しい昼下がりだった。８５年６月</span><br /><br /><a href="http://blog-imgs-26.fc2.com/n/o/g/noguchiyasuo/20060412204116.jpg" target="_blank"><img src="http://blog-imgs-26.fc2.com/n/o/g/noguchiyasuo/20060412204116s.jpg" alt="サファリ" border="0" /></a><br />アフリカを走っていると突然・・・、そんなことはありません。マサイマラ国立公園で、私はむろん車の中。<br /><br /><a href="http://blog-imgs-26.fc2.com/n/o/g/noguchiyasuo/20060412204031.jpg" target="_blank"><img src="http://blog-imgs-26.fc2.com/n/o/g/noguchiyasuo/20060412204031s.jpg" alt="レナナ" border="0" /></a><br />ケニア山第３峰レナナ、４９８５ｍ。この４日後に背後のバチアンに登頂するが、北壁をリードしてくれた山田利昭兄は半年後アコンカグア南壁に斃れてしまう<br /><br /><a href="http://blog-imgs-26.fc2.com/n/o/g/noguchiyasuo/20060401093618.jpg" target="_blank"><img src="http://blog-imgs-26.fc2.com/n/o/g/noguchiyasuo/20060401093618s.jpg" alt="サハラ砂漠" border="0" /></a><br />アトラス山脈を越えて、たちまちのうちに乾燥してきた世界に、ちょっと疲れたかな。モロッコ・８４年５月</span><br /><br /><a href="http://blog-imgs-26.fc2.com/n/o/g/noguchiyasuo/20060401093644.jpg" target="_blank"><img src="http://blog-imgs-26.fc2.com/n/o/g/noguchiyasuo/20060401093644s.jpg" alt="鈴木牧場" border="0" /></a><br />ブラジルでは日経移民の方々に、さんざんお世話になりました。同じ茨城県人として東海村出身の鈴木さんの牧場で。中央部馬上が２４歳の私。８２年・９月</span><br /><br /><a href="http://blog-imgs-26.fc2.com/n/o/g/noguchiyasuo/20060328193702.jpg" target="_blank"><img src="http://blog-imgs-26.fc2.com/n/o/g/noguchiyasuo/20060328193702s.jpg" alt="パカヤ火山" border="0" /></a><br />グアテマラのパカヤ活火山<br />　活火山の火口を見るという、あな恐ろしげなツアーに参加。山頂まであと数歩の火口輪で噴火、ツアー客全員が一目散に逃げた。９３年１０月</span><br /><br /><a href="http://blog-imgs-26.fc2.com/n/o/g/noguchiyasuo/20060328193951.jpg" target="_blank"><img src="http://blog-imgs-26.fc2.com/n/o/g/noguchiyasuo/20060328193951s.jpg" alt="イースター・モアイ像" border="0" /></a><br />１回目の旅の最後は南米から南太平洋経由オーストラリア行き。その途中でイースター島にストップオーバー。８６年９月<br /></span> ]]>
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<dc:subject>自転車で旅をすること</dc:subject>
<dc:date>2006-05-23T19:17:46+09:00</dc:date>
<dc:creator>ビシクレッタ</dc:creator>
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<title>世界サイクリング</title>
<description> ３　第３ラウンド細切編サラリーマンでは無理な相談だ、という人が多いため、誰でも無理なく自転車で世界一周ができるよう、年一回一週間ずつ40回繰り返せば地球が一周できるよいうことを、わが身をもって実践しています。　いずれも500kmから700kmの走行です　なおこの経過は順不同で、2008年1月から月刊バイシクルクラブ誌に連載中です細切れ編の完了予定これまでに全体の１５％を消化。現時点で2038年完了の見込み⑫コロラド 200
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<![CDATA[ <span style=font-size:x-large>３　第３ラウンド細切編</span><br /><br /><span style=font-size:x-small>サラリーマンでは無理な相談だ、という人が多いため、誰でも無理なく自転車で世界一周ができるよう、年一回一週間ずつ40回繰り返せば地球が一周できるよいうことを、わが身をもって実践しています。<br />　いずれも500kmから700kmの走行です<br /><br />　<span style="font-size:large;"><span style="color:#cc0033">なおこの経過は順不同で、2008年1月から月刊バイシクルクラブ誌に連載中です</span><br /><br /><br /><br /><span style=font-size:x-large>細切れ編の完了予定</span><br /><br /><span style=font-size:x-small>これまでに全体の１５％を消化。現時点で2038年完了の見込み</span><br /><span style=font-size:large>⑫コロラド 2007</span><br /><span style=font-size:x-small>14年ぶりに4000ｍ台へ。ＵＳＡの中央部、コロラド州のＭｔ．エバンスへ。北米大陸でもっとも高いところまで上がるという道の終点まで。4315ｍ、山頂は4342ｍでした。ふもとのエバーグリーンから7時間の登りでした。<br /><br /><span style=font-size:large>⑪韓国・京畿道 2006</span><br /><span style=font-size:x-small>5日の休みでソウル・臨津江周辺・仁川ルート　380km　児島襄の朝鮮戦争の舞台を走ってきました。平和ボケした日本にいると、たまにはこのような世界の現実を味会わないと取り残されそう。<br /><br /><span style=font-size:large>⑩中国・広東広西　2005</span><br /><span style=font-size:x-small>どんなものか走ってみた広東から広西への600ｋｍ。105ヵ国目。くわしくはリンク先のサイクルハウス・ジロのホームページへ。<br />　広州へ飛びバスで肇慶まで移動。自転車を買って桂林へ。<br />　１日目　徳慶<br />　２　　　梧州<br />　３　　　大平<br />　４　　　永安<br />　５　　　朔陽<br />　６　　　両江（桂林）　　飛行機<br />　７　　　広州<br />　以上のルート<br />　圧倒されたるは熱気むんむんの中国経済力のひとことにつきた。足となったのは中国ならばと選んだ現地調達のママチャリ。<br />　走ってみて初めて、ママチャリの峠越えの厳しさを知った。伸びぬ腕に肩に力が入らず、足に力が伝わらないママチャリの峠越えが、こんなに疲れるとは。<br />　全行程６０５ｋｍ。</span><br /><br /><span style=font-size:large>⑨ニューヨーク　2004</span><br /><span style=font-size:x-small>出稼ぎの日々を送ったニューヨーク再訪。この近くに住む、一緒にアメリカを横断したジョンを訪ねて。のちに彼は頚椎損傷で車椅子の身になってしまい、会うには私から尋ねるのみとなった。<br />　初日は市の郊外で宿を確保、２日目にマンハッタンの回想にふけってから対岸のジョンの家に向かうために、ダウンタウンの波止場からホーバークラフトでニュージャージへ。そのままその周辺を走行</span><br /><br /><span style=font-size:large>⑧スイス・ドイツ　2003</span><br /><span style=font-size:x-small>スイスのチューリッヒから、宗教革命に先駆けたフス火刑の地となったボーデン湖畔のコンスタンツ、ドナウとラインの分水嶺を右往左往しつつ、ライン源流を訪ねてバーデンを北上し、トラオボス博士を再訪したコース。<br />　これで細切欧州編はパリからフランクフルト経由チューリッヒまでつながる</span><br /><br /><span style=font-size:small>2002年。<br />おろかにも通勤中に自爆事故を起こしてしまい、なんと頭蓋骨を骨折、鼻漏までしでかしてしまった。同僚に迷惑かけてしまっては海外サイクリングも自粛せざるをえず。<br />　ところがその直後に、北極海で遭難死した友人の行動を記録した<br /><br /><span style=font-size:x-large><font color="#FF0000">「みかん畑に帰りたかった」</font><br /><br /><span style=font-size:x-small>が小学館のノンフィクション大賞に選ばれてびっくり</span><br /><br /><span style=font-size:large>⑦フランス・ドイツ　2001</span><br /><span style=font-size:x-small>パリをスタートにシャロンまでは鉄道、走り出してアルザスを経由し、ラインを渉ってドイツに入り、ワインガルテンのトラオボス博士を再訪した。この年、彼の住む町の名物、ハイデルベルク王家ご用達のワインを100本買って、初めての個人輸入にも挑戦。<br />　なおこのワインのうまいこと、他のワインが飲めなくなった</span><br /><br /><span style=font-size:large>⑥韓国中部　2000</span><br /><span style=font-size:x-small>おとなりの歴史を求めて走った、京城、水原、扶余、公州の道。百済王朝の盛衰が昨夜のような日々。<br />　仙台在住の友人、伊藤さんと共に走る</span><br /><br /><span style=font-size:x-small>1999年はニューヨークマラソンに参加。４時間４０分の自己ワースト記録を樹立。<br />　台湾も走ったが、たった３日と第3ラウンドの主旨から大きく外れているので省略</span><br /><br /><span style=font-size:large>⑤カナダ西海岸　1998</span><br /><span style=font-size:x-small>バンクーバーからサーモンアームまでの900ｋｍ。避暑に行ったつもりが、日本よりも暑い連日の40度に、あきれた一週間</span><br /><br /><span style=font-size:large>④韓国済州島　1997</span><br /><span style=font-size:x-small>１０４カ国目。やっと訪れることのできたお隣り韓国の済州島。韓国最高峰ハンラ山登山も計画内だったが、自然保護のため入山禁止で断念</span><br /><br /><span style=font-size:large>③ドイツ　1996</span><br /><span style=font-size:x-small>お世話になったもうひとりがドイツ・バーデン州のトラオボス博士。フランクフルトに立ち、彼を訪ねてローテンブルグ、デュンケルスビュール、ネルトリンゲンと、ロマンテッシュ・ストラッセを走る<br />　ロマンティッシュ街道の旅と銘うつ旅行代理店の旅。これは国道一号線を東海道と称してバスで移動しているようなもの。本当の街道は点在する村の中を走っていく</span><br /><br /><span style=font-size:large>②フロリダ　1995</span><br /><span style=font-size:x-small>居候先に残した荷物の引き上げ目的に走った、アトランタからブレイデントンまでの道。その途中では、風とともに去りぬの、タラの地も通過する。<br />　長旅のなかで、もっともお世話になったバーカーさんとの再会が最大の喜び。しかしそのバーカーさんも2003年没</span><br /><br /><span style=font-size:large>①台湾東海岸　1994</span><br /><span style=font-size:x-small>交通量の多い西海岸を避けて高雄まではバス移動。そこから最南端に向かい、東海岸を台東、花連、宜蘭まで走る。圧巻は花連以北の清水の大断崖だが現在は通行止めになってしまったらしい</span><br /><br /><span style=font-size:x-large>２　第２ラウンド</span><br /><br /><span style=font-size:x-small>43ヶ国　27000km</span><br /><br /><span style=font-size:x-small>１回目で走りきれなかった地域を結ぶために走った、カリブ海一周と北欧、旧ソ連諸国、東欧の１年２ヵ月。<br />９２年７月から９３年９月まで。<br /><br /><span style=font-size:large>フロリダ滞在Ⅰ</span><br /><span style=font-size:x-small>英語力の復活をかねて車の免許取得。英語受験は厳しかったけど楽しかった。</span><br /><br /><span style=font-size:large>中米</span><br /><span style=font-size:x-small>ユカタン半島に飛び、中米７カ国を主な山を登りつつパナマまで。<br />パナマからメデリン（コロンビア）まで飛行機。<br /><br /><span style=font-size:large>南米</span><br /><span style=font-size:x-small>コロンビアを北半周し、ククタからベネズエラ入国。カラカスまでは奥地のオリノコ川を経由する</span><br /><br /><span style=font-size:large>カリブ海</span><br /><span style=font-size:x-small>プエルトリコを起点にカリブ海の島々１０島を走る。小さくも世界的歴史にもてあそばれた島々だった</span><br /><br /><span style=font-size:large>フロリダ滞在Ⅱ</span><br /><span style=font-size:x-small>フロリダにもどって旅の整理とスキューバの免許を取得しロンドンに飛ぶ</span><br /><br /><span style=font-size:large>北欧東欧</span><br /><span style=font-size:x-small>ロンドン上陸のちベネルクスからドイツ経由で北欧へ。最北端ノードカップ、最東端キルケネスなどをめぐり、ロシア領ムルマンスクツアーにも参加できた。<br />以後バルト三国経由で南下し、どさくさに紛れて白ロシア、ウクライナも走り、ポーランド、スロバキア、チェコときてドイツよりり帰国する２７０００ｋｍ</span><br /><br /><br /><span style=font-size:x-large>１　第１ラウンド</span><br /><br /><span style=font-size:x-small>70ヶ国　85000km</span><br /><span style=font-size:x-small>世界を自分の足で走りたくて決行した初めての海外旅行。<br /><br /><span style=font-size:large>北米　約１７０００ｋｍ</span><br />初めての異国の地、アラスカのアンカレッジに立ってから一目散にカナダを横断し大西洋へ。ここより東海岸を下ってニューヨーク、フロリダ。以後西に進み、テキサス経由でメキシコまで来たが、中米の政情不安に遭遇し、やむなく南米へと飛ぶことに。<br /><br /><span style=font-size:large>南米　約８０００ｋｍ</span><br /><span style=font-size:x-small>物価急降下にペースまでもが急降下。エクアドルより走り出して太平洋岸を南下しペルー、アンデスを越えてボリビア、ブラジル、パラグアイ、アルゼンチン、ウルグアイ、ブラジルへの道をたどる。<br />アンデスの高嶺、インカ帝国の遺跡、パンパの大平原が連続する感動のままに過ぎていく。困ったのはブラジル。あまりにも親切な日系移民の、連日の大歓迎には音を上げて、アマゾンや北部の地は断念することに</span><br /><br /><span style=font-size:large>メキシコ</span><br />ヨーロッパに向けての越冬地として選択、５ヶ月を過ごす。アステカの遺跡、コルテスの軌跡、ユカタンマヤの栄光とくまなく訪れられて大満足のビバ・メヒコ</span><br /><br /><span style=font-size:large>ヨーロッパⅠ　８０００ｋｍ</span><br />　ロンドンから走り出し、英、仏、ベネルクス、北欧。けれども中南米の物価を知ってしまった身に欧州の物価は心臓に悪い。たちまち使い果たし、かといって帰国する気にもならず、ニューヨーク出稼ぎを決意する</span><br /><br /><span style=font-size:large>ニューヨーク出稼ぎ</span><br />　資金稼ぎ目的だから労働条件などいとうか。即決で稼ぎたく日１３時間労働に甘んじて、７ヶ月で７０００ドルを溜め込み、ヨーロッパ再飛行</span><br /><br /><span style=font-size:large>ヨーロッパⅡ</span><br />　<span style=font-size:x-small>マドリードより再出帆。イベリア半島を走り、ジブラルタルを渡って初のアフリカ大陸上陸。しかし目的は残った欧州走破だから、ふたたび欧州大陸にもどってスコットランド最北端へと北上。さらにヨーロッパアルプスから東欧諸国を突破し、ブルガリアからイスタンブールまできた。<br />そして悩んだ。アジアを走るべきかアフリカを走るべきか、迷いながらも前輪はアフリカへアフリカへと向いてしまい、いつのまにかUターン、ダータネルス海峡を越えてギリシャ、ユーゴへ。そしてイタリアを南下、目の前にサハラが広がるところまで下ってきた。<br />　欧州では登山の楽しみを知った。モンブラン登頂がそのきっかけになる</span><br /><br /><span style=font-size:large>西アフリカ</span><br /><span style=font-size:x-small>地中海を渡りチュニスに上陸、サハラ縦走路に着手する。見渡すかぎりの砂漠を走りつつガルダイアでサハラ縦貫道に合流、行けども行けども干からびた大地を、インサラー、タマンラセット、アガデスと走って世界最大の砂漠を突破した（タマンラセット→アルリッツはヒッチ）。<br />目指すはギニア湾、そのままひたすら南下しサヘル地方を走りぬけたが、象牙海岸のカティオラでついに逃れられえぬ関門、肝炎に捕まってしまう。<br />　覚悟を決めて入院４５日ののちに復活、５カ月がかりで海を見る。と、ここで隣国ガーナの国境オープンを知り東へと進めたが、西アフリカの雄ナイジェリア国境はついに開かず、コトノウから東アフリカへの一気のフライトを決める。<br /><br /><span style=font-size:large>東アフリカ</span><br />　<span style=font-size:x-small>東アフリカの高地は、地獄のような暑さのサヘルに比べるとまるで天国だった。シマウマやキリンと戯れながら、キリマンジャロとケニア山主峰にも登れて満足し、再び自転車の旅人となってタンザニアを過ぎてマラウイへ。ここで肝炎につづく第二の関門、湖畔で蚊にさされまってマラリアの洗礼を受け、ビクトリア滝で一週間のびていた。<br />　そして復活、意地でも行きたい最南端の地をめざして南アフリカへと走り、アパルトヘイトに悩まされながらもトランスバールを越えてアガラス岬にたどりついた。<br />　サハラを越え、キリマンジャロに登り、トランスバールを突破してきた丸一年のアフリカも喜望峰に終結した</span><br /><br />　<span style=font-size:large>南米登山</span><br />　<span style=font-size:x-small>モンブランに始まり、ケニア山主峰、キリマンジャロにと登っているうちにアンデスの山にも登りたくなった。それで南米にもどり、アコンカグアに登っていたら、ケニア山北壁を引き上げてくれた友人が高度障害で死んでしまう。その遺体搬送（失敗し現地埋葬に）を終えてからぺルーアンデスにも足を伸ばし、インカの崇拝する高峰、ワスカラン、トクヤラフなどにも登る。このとき相棒となったのが河野兵市、後に日本人初の北極点歩行到達の快挙をなしとげた友である。彼とともの軌跡をつづった記録が、小学館のノンフィクション大賞に選ばれ、「みかん畑に帰りたかった」で発刊されたので、内容はこの本を参照されたし。</span><br /><br /><span style=font-size:large>南太平洋</span><br />　<span style=font-size:x-small>残金は２０００ドルを割っていた。しかしトクヤラフの仕事で思いがけぬ金が入り、中米突破ロスアンゼルスからの帰国予定が南太平洋経由オーストラリア行きのルートを選択することができた。<br />サンチアゴで日本までのチケットを購入、６年ぶりの帰国が現実味をおびてくる。そこまでたどったのは、イースター、タヒチ、サモア、フィジー、ニューカレドニア、ニュージーランドへの道。そして仕上げはオーストラリア東海岸。もっとのつまらないルートだったものの、全財産３０５ドルにここしか選択できず。一本のスポークが折れるたびに冷や汗をかきつつも、２ヶ月がかりでメルボルンからケアンズまで走り抜けて、我が世界一周の旅は完結する。<br />　成田に着いたとき、ポケットには１ドル札が１２枚しか残っていなかった。</span><br /><br /><br /><br /><br /><br /><br /><br /><br /><br /><br /><br /><br /><br /><br /><br /><br /> ]]>
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