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Author:ビシクレッタ
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世界サイクリング
3 第3ラウンド細切編

サラリーマンでは無理な相談だ、という人が多いため、誰でも無理なく自転車で世界一周ができるよう、年一回一週間ずつ40回繰り返せば地球が一周できるよいうことを、わが身をもって実践しています。
 いずれも500kmから700kmの走行です

 なおこの経過は順不同で、2008年1月から月刊バイシクルクラブ誌に連載中です



細切れ編の完了予定

これまでに全体の15%を消化。現時点で2038年完了の見込み
⑫コロラド 2007
14年ぶりに4000m台へ。USAの中央部、コロラド州のMt.エバンスへ。北米大陸でもっとも高いところまで上がるという道の終点まで。4315m、山頂は4342mでした。ふもとのエバーグリーンから7時間の登りでした。

⑪韓国・京畿道 2006
5日の休みでソウル・臨津江周辺・仁川ルート 380km 児島襄の朝鮮戦争の舞台を走ってきました。平和ボケした日本にいると、たまにはこのような世界の現実を味会わないと取り残されそう。

⑩中国・広東広西 2005
どんなものか走ってみた広東から広西への600km。105ヵ国目。くわしくはリンク先のサイクルハウス・ジロのホームページへ。
 広州へ飛びバスで肇慶まで移動。自転車を買って桂林へ。
 1日目 徳慶
 2   梧州
 3   大平
 4   永安
 5   朔陽
 6   両江(桂林)  飛行機
 7   広州
 以上のルート
 圧倒されたるは熱気むんむんの中国経済力のひとことにつきた。足となったのは中国ならばと選んだ現地調達のママチャリ。
 走ってみて初めて、ママチャリの峠越えの厳しさを知った。伸びぬ腕に肩に力が入らず、足に力が伝わらないママチャリの峠越えが、こんなに疲れるとは。
 全行程605km。


⑨ニューヨーク 2004
出稼ぎの日々を送ったニューヨーク再訪。この近くに住む、一緒にアメリカを横断したジョンを訪ねて。のちに彼は頚椎損傷で車椅子の身になってしまい、会うには私から尋ねるのみとなった。
 初日は市の郊外で宿を確保、2日目にマンハッタンの回想にふけってから対岸のジョンの家に向かうために、ダウンタウンの波止場からホーバークラフトでニュージャージへ。そのままその周辺を走行


⑧スイス・ドイツ 2003
スイスのチューリッヒから、宗教革命に先駆けたフス火刑の地となったボーデン湖畔のコンスタンツ、ドナウとラインの分水嶺を右往左往しつつ、ライン源流を訪ねてバーデンを北上し、トラオボス博士を再訪したコース。
 これで細切欧州編はパリからフランクフルト経由チューリッヒまでつながる


2002年。
おろかにも通勤中に自爆事故を起こしてしまい、なんと頭蓋骨を骨折、鼻漏までしでかしてしまった。同僚に迷惑かけてしまっては海外サイクリングも自粛せざるをえず。
 ところがその直後に、北極海で遭難死した友人の行動を記録した

「みかん畑に帰りたかった」

が小学館のノンフィクション大賞に選ばれてびっくり

⑦フランス・ドイツ 2001
パリをスタートにシャロンまでは鉄道、走り出してアルザスを経由し、ラインを渉ってドイツに入り、ワインガルテンのトラオボス博士を再訪した。この年、彼の住む町の名物、ハイデルベルク王家ご用達のワインを100本買って、初めての個人輸入にも挑戦。
 なおこのワインのうまいこと、他のワインが飲めなくなった


⑥韓国中部 2000
おとなりの歴史を求めて走った、京城、水原、扶余、公州の道。百済王朝の盛衰が昨夜のような日々。
 仙台在住の友人、伊藤さんと共に走る


1999年はニューヨークマラソンに参加。4時間40分の自己ワースト記録を樹立。
 台湾も走ったが、たった3日と第3ラウンドの主旨から大きく外れているので省略


⑤カナダ西海岸 1998
バンクーバーからサーモンアームまでの900km。避暑に行ったつもりが、日本よりも暑い連日の40度に、あきれた一週間

④韓国済州島 1997
104カ国目。やっと訪れることのできたお隣り韓国の済州島。韓国最高峰ハンラ山登山も計画内だったが、自然保護のため入山禁止で断念

③ドイツ 1996
お世話になったもうひとりがドイツ・バーデン州のトラオボス博士。フランクフルトに立ち、彼を訪ねてローテンブルグ、デュンケルスビュール、ネルトリンゲンと、ロマンテッシュ・ストラッセを走る
 ロマンティッシュ街道の旅と銘うつ旅行代理店の旅。これは国道一号線を東海道と称してバスで移動しているようなもの。本当の街道は点在する村の中を走っていく


②フロリダ 1995
居候先に残した荷物の引き上げ目的に走った、アトランタからブレイデントンまでの道。その途中では、風とともに去りぬの、タラの地も通過する。
 長旅のなかで、もっともお世話になったバーカーさんとの再会が最大の喜び。しかしそのバーカーさんも2003年没


①台湾東海岸 1994
交通量の多い西海岸を避けて高雄まではバス移動。そこから最南端に向かい、東海岸を台東、花連、宜蘭まで走る。圧巻は花連以北の清水の大断崖だが現在は通行止めになってしまったらしい

2 第2ラウンド

43ヶ国 27000km

1回目で走りきれなかった地域を結ぶために走った、カリブ海一周と北欧、旧ソ連諸国、東欧の1年2ヵ月。
92年7月から93年9月まで。

フロリダ滞在Ⅰ
英語力の復活をかねて車の免許取得。英語受験は厳しかったけど楽しかった。

中米
ユカタン半島に飛び、中米7カ国を主な山を登りつつパナマまで。
パナマからメデリン(コロンビア)まで飛行機。

南米
コロンビアを北半周し、ククタからベネズエラ入国。カラカスまでは奥地のオリノコ川を経由する

カリブ海
プエルトリコを起点にカリブ海の島々10島を走る。小さくも世界的歴史にもてあそばれた島々だった

フロリダ滞在Ⅱ
フロリダにもどって旅の整理とスキューバの免許を取得しロンドンに飛ぶ

北欧東欧
ロンドン上陸のちベネルクスからドイツ経由で北欧へ。最北端ノードカップ、最東端キルケネスなどをめぐり、ロシア領ムルマンスクツアーにも参加できた。
以後バルト三国経由で南下し、どさくさに紛れて白ロシア、ウクライナも走り、ポーランド、スロバキア、チェコときてドイツよりり帰国する27000km



1 第1ラウンド

70ヶ国 85000km
世界を自分の足で走りたくて決行した初めての海外旅行。

北米 約17000km
初めての異国の地、アラスカのアンカレッジに立ってから一目散にカナダを横断し大西洋へ。ここより東海岸を下ってニューヨーク、フロリダ。以後西に進み、テキサス経由でメキシコまで来たが、中米の政情不安に遭遇し、やむなく南米へと飛ぶことに。

南米 約8000km
物価急降下にペースまでもが急降下。エクアドルより走り出して太平洋岸を南下しペルー、アンデスを越えてボリビア、ブラジル、パラグアイ、アルゼンチン、ウルグアイ、ブラジルへの道をたどる。
アンデスの高嶺、インカ帝国の遺跡、パンパの大平原が連続する感動のままに過ぎていく。困ったのはブラジル。あまりにも親切な日系移民の、連日の大歓迎には音を上げて、アマゾンや北部の地は断念することに


メキシコ
ヨーロッパに向けての越冬地として選択、5ヶ月を過ごす。アステカの遺跡、コルテスの軌跡、ユカタンマヤの栄光とくまなく訪れられて大満足のビバ・メヒコ


ヨーロッパⅠ 8000km
 ロンドンから走り出し、英、仏、ベネルクス、北欧。けれども中南米の物価を知ってしまった身に欧州の物価は心臓に悪い。たちまち使い果たし、かといって帰国する気にもならず、ニューヨーク出稼ぎを決意する


ニューヨーク出稼ぎ
 資金稼ぎ目的だから労働条件などいとうか。即決で稼ぎたく日13時間労働に甘んじて、7ヶ月で7000ドルを溜め込み、ヨーロッパ再飛行


ヨーロッパⅡ
 マドリードより再出帆。イベリア半島を走り、ジブラルタルを渡って初のアフリカ大陸上陸。しかし目的は残った欧州走破だから、ふたたび欧州大陸にもどってスコットランド最北端へと北上。さらにヨーロッパアルプスから東欧諸国を突破し、ブルガリアからイスタンブールまできた。
そして悩んだ。アジアを走るべきかアフリカを走るべきか、迷いながらも前輪はアフリカへアフリカへと向いてしまい、いつのまにかUターン、ダータネルス海峡を越えてギリシャ、ユーゴへ。そしてイタリアを南下、目の前にサハラが広がるところまで下ってきた。
 欧州では登山の楽しみを知った。モンブラン登頂がそのきっかけになる


西アフリカ
地中海を渡りチュニスに上陸、サハラ縦走路に着手する。見渡すかぎりの砂漠を走りつつガルダイアでサハラ縦貫道に合流、行けども行けども干からびた大地を、インサラー、タマンラセット、アガデスと走って世界最大の砂漠を突破した(タマンラセット→アルリッツはヒッチ)。
目指すはギニア湾、そのままひたすら南下しサヘル地方を走りぬけたが、象牙海岸のカティオラでついに逃れられえぬ関門、肝炎に捕まってしまう。
 覚悟を決めて入院45日ののちに復活、5カ月がかりで海を見る。と、ここで隣国ガーナの国境オープンを知り東へと進めたが、西アフリカの雄ナイジェリア国境はついに開かず、コトノウから東アフリカへの一気のフライトを決める。

東アフリカ
 東アフリカの高地は、地獄のような暑さのサヘルに比べるとまるで天国だった。シマウマやキリンと戯れながら、キリマンジャロとケニア山主峰にも登れて満足し、再び自転車の旅人となってタンザニアを過ぎてマラウイへ。ここで肝炎につづく第二の関門、湖畔で蚊にさされまってマラリアの洗礼を受け、ビクトリア滝で一週間のびていた。
 そして復活、意地でも行きたい最南端の地をめざして南アフリカへと走り、アパルトヘイトに悩まされながらもトランスバールを越えてアガラス岬にたどりついた。
 サハラを越え、キリマンジャロに登り、トランスバールを突破してきた丸一年のアフリカも喜望峰に終結した


 南米登山
 モンブランに始まり、ケニア山主峰、キリマンジャロにと登っているうちにアンデスの山にも登りたくなった。それで南米にもどり、アコンカグアに登っていたら、ケニア山北壁を引き上げてくれた友人が高度障害で死んでしまう。その遺体搬送(失敗し現地埋葬に)を終えてからぺルーアンデスにも足を伸ばし、インカの崇拝する高峰、ワスカラン、トクヤラフなどにも登る。このとき相棒となったのが河野兵市、後に日本人初の北極点歩行到達の快挙をなしとげた友である。彼とともの軌跡をつづった記録が、小学館のノンフィクション大賞に選ばれ、「みかん畑に帰りたかった」で発刊されたので、内容はこの本を参照されたし。

南太平洋
 残金は2000ドルを割っていた。しかしトクヤラフの仕事で思いがけぬ金が入り、中米突破ロスアンゼルスからの帰国予定が南太平洋経由オーストラリア行きのルートを選択することができた。
サンチアゴで日本までのチケットを購入、6年ぶりの帰国が現実味をおびてくる。そこまでたどったのは、イースター、タヒチ、サモア、フィジー、ニューカレドニア、ニュージーランドへの道。そして仕上げはオーストラリア東海岸。もっとのつまらないルートだったものの、全財産305ドルにここしか選択できず。一本のスポークが折れるたびに冷や汗をかきつつも、2ヶ月がかりでメルボルンからケアンズまで走り抜けて、我が世界一周の旅は完結する。
 成田に着いたとき、ポケットには1ドル札が12枚しか残っていなかった。

















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世界サイクリング編 | 21:19:11 | Trackback(0) | Comments(0)
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